楕円の日本/川勝平太 山折哲雄

  • 2024.04.28
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辞職される川勝知事。そう言えば本をまだ読んでなかったなあと思い。。
近所の静岡文化芸術大学の学長もされていて、あまり学者として認識していなかったけど、すごい方だと今更認識した。
本書は前半は山折さんとの対談だけど、大半は川勝さんの親鸞を軸とした仏教のなかなか精緻な論文?
仏教ってインドで生まれて経典が中国で翻訳されて日本に伝わったりしているけど、2000年以上の歴史の中で恐ろしく複雑なことになっていて、親鸞なども、それらの中で自らが信じる論をもとに持論を組み立ててゆく。そして学者としてはそれらをきちんと読み込み、歴史的な当時の事情なども勘案しながら読み解かなければいけない。だから恐ろしく大変なことだけど、僕は仏教関係は多少は読んできたけど、川勝さんはそれが専門ではない(はず)けど素晴らしく整理されていた。

あとがきで、お!と思った一文
「私見では、宗教とは人をして、畏れ・驚愕・感動・懺悔などを通して、形而下のものとは別次元・形而上の何かが厳然としてあることを悟らせ、謙虚にさせ、どのような時にも、誰にでもできる、最後の手立て『祈る』という行為のあることを教えるものではないかと考えています」
これは素晴らしいまとめだと思うし、学者として一流でなければできないし、「大局観」を持っている証だと思うから、学長や知事という立場に推挙されたのでしょう。
ただ、リニアや暴言、と言われることなどで残念な辞め方になるけれど、「ふじのくに」と名付けたのも知事?当初からビジョンを掲げ、やることはしっかりやられてきたようにも思う。

話を仏教に戻すと、経典というのは学問として仏教をいかに「解釈」するか?ということであり、逆に言えば単なる解釈にすぎない。
それに関連して、マルクスの言葉を引き「これまでの哲学者は世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。大切なのは、世界を変革することだ」と。そして親鸞などがすごかったのは、経典の解釈を超えて、自らが世界を変えるようなことを成し遂げた。つまり悪人こそが救われる、なんていうテーゼを打ち立てたのだ。
親鸞、仏教の話は奥が深すぎるのでこの辺にして、、山折さんの言葉の中から、「日本人がなぜ死を、特に敏感に忌むようになったかというと、湿潤の風土と関係があるのではないか。遺体は腐敗する。その腐敗と湿度の相関という問題が、中国文明の影響下に変化した日本の文化の最も重要な性格を作っていったのではないか」として、他方の感想したヨーロッパなどでは貴族などが死んでもお城の中に置かれ続けたりする一方、日本の天皇は当初亡くなるごとに遷都をしたり、それも大変なので天皇陵など古墳を作ることで都から遠ざけたりしてきた。
「穢れ」というのは今の日本人にも間違いなく伝わっているからこそ、日本は外国に比べ清潔なのだろう。
そして、その「湿潤」というのはそれだけでなく雑草がすごく伸びたり、倒木がすぐに朽ちたり、自然のあり方にも大きな影響を与え、建築においても当然、その湿潤からいかに建物や生活を守るか、が大切になってきたのに、今はエアコンがあるからと、無駄に断熱気密を高くしてそれをおろそかにしてしまっている。良いのか??

と、脱線でしたが、とにかく、川勝知事に大きな敬意を持つことができ、次の知事にも、同じく大局観を持った方が選ばれて欲しい。(つまりそういうことです)