戦争する国の道徳

  • 2022.09.29
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何だか何が正しいのか、さらに分からない時代になっちゃいましたね。昨今の色々。
twitterやyoutubeや、キャッチーなフレーズが溢れて、いいねやpvの数が正しさと錯覚させるけど、後になれば単なるネタでしかなかったみたいな。それで仕方ないって世の中なんだろうけど、やっぱそんなのは嫌だ。
前も書いたか、宮台さんが「ミドルマン」つまり高い知識や能力がなければ何が何だか分からない世の中では、それを一般人に噛み砕き、その正当な価値を伝えるような存在が必要だというのは本当そうだと思うけど、メディアに出る専門家やらは都合よく嘘をついているので、ミドルマンどころか、詐欺師でしかない。そんな意味で、本書は為になる本だった。
小林さんは、正直、醸し出すあの怪しさから、今まで殆ど読んだりして来なかったけど、ちょっとしっかり読んでみようと思った。つまり、3方ともだけど、大所高所から上から目線で主張をしている(ようにも聞こえることが多いが)ようで、実際はそれそれに「生々しい」世界としっかり向き合って、地面を這い回った上で、上から語っているので、とても納得させられることが多かった。
人間とはそもそも各々が違う体を持ち、違う目を通して、違う経験をして、それは言葉にはできても全く共有なんてできないのだから、それぞれの人生は本来とても生々しいものなのに、近代以降の社会がそれを脱色して、為政者や権力者はそれを都合よく統制して、情報社会がそれを加速して、すでに「大切な価値」なんて熱弁しても馬鹿じゃない?って世の中になってしまっている。以上単なる私見だけど、本書からも強く感じる部分ではある。
ただ興味深かったのは、沖縄でもフクシマでも、現地の当事者たちの気持ちに寄り添いすぎて「当事者至上主義」なバカになってしまうことで、大切なことから目を逸らしてしまう言説も多く、逆に大きな問題解決から遠ざかってしまうことも多いそう。今のネット社会は特に、できるだけ多くの意見を吸い上げることが大切と思われてるけど、ネット上の議論なんて何も生み出さない無駄でしかない。「黙って聞け」と言う態度は嫌われるけど本当はそうやって影響力を与えられるような「立派な人」が感じられるような小さなコミュニティに立ち返って始め直すしかない、と言うのは全くその通りだと思う。また東さんが建築に関し、同じ文脈で、昔の丹下さんのように「黙って聞け」と言う建築家がいなくなり、山崎亮さんのコミュニティデザインのように「ひたすら利害関係を調整する」方向に若手建築家が向かってしまっているが、それは政治家の仕事では?と、これも全くの同感で、結果楽しげなものは作っていても、背骨がない軟体動物というか、やっぱり政治を動かす言動に背骨が必要なように、建築の表現にも背骨は必要だし、その為には「黙って聞け」という姿勢は避けられないと、僕は思う。

宮台さんは「対米ケツ舐め」を続ける日本を非難し、個々の「内発性ー内から湧く思い」が大事だと言い、そのスタンスは小林さん(昔は喧嘩してたようだが本書ではやけに同調していた)も変わらず、それは真剣に人々や真実や社会に向かい合い続ければ、必然的に生まれる態度だと思ったし、やっぱり安倍暗殺もアメリカがらみだろうし、田中角栄もそうだったんだろうけど、いつまでもアメリカに裏で支配され続けた状態から目を覚まさないと、本当に未来はないし、日本としての「内発性」をいろんな面で小さなところからでも取り戻さないといけない、と改めて強く思った。