直島,高松,徳島へ

  • 2022.10.27
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恒例?の建築旅行。今回もなかなか詰め込みましたが、まずは猪熊弦一郎現代美術館を再訪。
丸亀駅前すぐにドンって、人々を迎えジンベイザメの口?のように吸い込むような大きなフレームが何よりの特徴。

おまけ写真。内部は谷口建築のいつもながらに、ただただ品良く、というか。だからこうやってアート(人も??)映える。


ここは初めての東山魁夷せとうち美術館。こちらも谷口流ワンパターンと言えるほどの構成と品良さ。ワンパターン(反復、継続)の強さは今の時代にこそ求められていると思う。
内部からは瀬戸内海がとても気持ちよく眺められ、小さな美術館だけど、日本画たちと相まって、とても素敵な場所。


以前も、今回も外観だけですが香川県庁舎。「美しいもののみ機能的である」という丹下さんの言葉通り、こうやっていまだに大切に使われ続けていることが、細かなことはさておき最も機能的、と言えるんだと思う。他方の同時代の建築家のものは、黒川さんのカプセルタワーなど、結局壊されてしまうということは、建築としては負け、なのだと僕は思う。
でもその「美しい」という感性を共有できない時代になれば、その望みも断たれてしまうのだから、やっぱり有名な建築家さんたちには「美しい」に背を向けずにちゃんと向き合ってほしいと願う。

最近雑誌で見て見てみたかった、高松市屋島山上交流拠点施設「やしまーる」設計は周防貴之さん。いかにも妹島さんSANAA出身らしいディテールのしっかりした建築で、いろんな意味でよくこれを実現できたな、と思った。ただうねる床と言えば、SANAAのRolex Learning Centerを思い出すけど、あのくらいのスケールだとより良いけど、このスケールだとちょっと窮屈感というか、重さを感じてしまった(とは言え下手な設計をしたら見られないくらいゴツくなるような案ではある)
とても賑わっていて、18億?程の工事費でも価値のある場所になってゆくことでしょう。浜松市もこういうセンスの良いものをしっかり作らないと継続的な賑わいは得られないって知ってほしいものだ。。

レンタカーでビュンと飛ばし、徳島県の上勝町へ。続く宿泊地と同じ中村拓志さん設計のブルワリー。営業時間ギリギリでとりあえずビール買って。。

上勝町ゼロウェイストセンター。手前にゴミの分別作業をしたりする場所があり、奥にホテル棟が。
丸太を半分に割って頬杖状の構造で、とても開放的で魅力的な木造で、遠方ですが実物を見たかったのではるばると。
2003年に自治体として初めて廃棄物ゼロ宣言をして、今はリサイクル率80%とのこと。ここの取り組みはなかなか面白いのでご興味あればお調べを。


ディナーは古民家でイタリアン。ペルトナーレさん。このとっても山奥のゼロウェイストとかやっている場所に移住してやってられるだけあって、料理もとてもそれぞれ個性的でワインのペアリング含め美味しかった。

翌朝高松からフェリーで豊島へ。まず西沢さんの豊島美術館。いつか実物を見なければと思っていて、大体建築は写真の方が魅力的だけどここは訪れた方が良い!
内部は撮影禁止で皆静かに空間やアートを感じていたから、というのもあったけど、空間の「原初性」というのか。空間というのは囲まれつつ、人々や光や風や自然や、出入りする開口との組み合わせで、それが人工的だったり恣意的に感じられる形や色や素材だと感じてしまうような違和感を上手に取り除いて、それによってリアルすぎる「現実」から離れた夢見心地というか、そんな場所を生み出している。
普通そんなものを作らせてはもらえない、という意味では内藤さんの紀尾井清堂もそうだったけど、あちらは大都市の中、こちらは大自然の中、という立地の違いでそれぞれの形が生まれたのだろう。

ランチを近くの島キッチンで。建築学会賞などとても評価されていたけど、こういう系統は僕はどうも好きではないらしいw

またフェリーで直島へ渡り、宿泊するベネッセハウスオーバルの、せっかくなので贅沢してスイートへ。中庭がこんな楕円に抜けているので「オーバル」でそれぞれの部屋へ。
その前にここが下のミュージアム棟からずっと上にあるために専用モノレールで移動が必要で、面倒といえばそうだけど、特別な場所に上がる、という感じと、瀬戸内海への見晴しがとても良い場所に上がるためには不可欠なアイディアだろう。

1枚の写真じゃとても伝わらないけど、ここは今まで経験した中でも一番気持ち良い場所だったかもしれない。ちなみに左の窓が地面中に降りていって全開状態になっているんだけど、普通はこんなことやらない(やれない)が、この気持ち良さのためには不可欠なのだ。ラグジュアリーなんて言葉(嫌いだけど)では全然ないけど本当に贅沢な、バワの建築に通じるような、優しいけど強い自然に対して、ある種のそっけなさとしたたかな強さをもつフレームを慎重にデザインして、自然に対してとっておきの場所にそれを置く、というやり方がとてもうまくいっていると思う。
ただ水回りやレストランや食事は凡庸なので、同じお金をかけるなら良い旅館をお勧めはするけど。
瀬戸内海を眺めながら、浜名湖も似た良さを持っているし、こういう作り方すれば良いものができるんじゃ?って。 コンクリートも得意だし、設計依頼を待とうw

施設内はさまざまなアートがあり紹介しきれないというか現代アートはそんな好きじゃないけど、杉本博司さんのは深みが違う。素材や自然への向き合い方の深さの違いというか。小林秀雄が「考える」を「かむかえる=物と親身に交わる事」と考えたような意味での考え方というのか。そしてこれは時の回廊。池のガラスの茶室はちょっとぶっ飛びすぎじゃない?って思うがw

安藤さんの李禹煥美術館。向かいのヴァレーギャラリー(銀の玉のやつはギラギラしすぎ)はイマイチだったけどこっちは建築も展示物も良かった。
西洋の芸術は饒舌なのに対しての「寡黙」というので共通すると思うけど、結果、内相的、禅的、ということだろう。今の世の中ますます饒舌になり、情報過多でカオスが深まるからこそ、こういうものが求められるんでしょうね。。
地中美術館も再訪だったけど、とても良くできたコンクリートパビリオンであり決して作品のための美術館ではない。

その他家プロジェクトいくつか見た中でこれも安藤さんの南寺。真っ暗な中に案内され、その後は書きませんが、「暗さ」というものと現代人は向き合っていないな、と改めて思ったりした。
三分一さんの直島ホールなども見てすごかったけど、ちょっとコンセプト的なものが強すぎて、建築としてはどうなんだろ?と思った。

今回の旅、オーバルへの宿泊と豊島美術館は書いた通りとても良い経験で色々考えさせ、いや、かむかえさせられられた。
格好つけずに裸で飛び込んで素直に感じてみること。いろんな大人の事情でそれがだんだんできなくなり、その感性さえも思い出せなくなる。
そしてそれは決して「視覚」だけでは得られない五感を総動員して得られるものだから、昨今ますます視覚情報が氾濫していることから距離を置かなければいけないのかな。
そんなことを思いました。