引きこもれる家/高級旅館のように
- 2026.07.09
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最近行ってないけど「旅館」はそれなりのところにそれなりに行き、仕事面でも結構良い影響を受けてきた。
有名な建築家がやった話題のものなども行ったけれど、本当に良かったと思うのはそうでない、日本の伝統から洗練されたようなもの。
ここは、修善寺のあさば。最初に行ったのは今の家と事務所を建てる数年前かな。仕事の関係でご一緒させてもらい、まだ30代の僕の知らない世界。
一人電車で行き少し早くついてしまい、庭を見ながら気持ちよく時間が流れて行った。ああこういう事なんだという。

お風呂の写真を見れば言わずともバレますが、我が家のお風呂はここの真似。毎晩ここ入れたら気持ちいいし、ちゃんと設計すればできるし、決してやたら高くないし、作っちゃえと。
家もですが、毎晩こういう場所で過ごせたら素晴らしいし、ちゃんと設計すれば遠くないものが作れる。
作家さんが昔は旅館にこもって、みたいなこと聞くけど、美味しいご飯も3食でて掃除やらする必要もなければ筆も進むことだろう。

次は俵屋さん。吉村順三が設計をしているそうだけど、特にこちら木造本館の方は、当主の佐藤年さんが中村外二工務店を通じてかなり手を入れられているそうで、これも日本伝統の洗練といえよう。
あさばが、広々とした敷地に伸び伸び作られているのに対し、こちらは京都の市街地の限られた敷地に、ぱっと見そう思わせないけどとても上手に立体的に、それぞれの部屋に落ち着きをもたらすような庭を配置している。
そのあたりは吉村さんの力量でもあるのかもだけど、それ以上にやっぱり宿側の日々の配慮や手入れが行き届いているのがこの宿の最大の魅力。

お風呂は小さいけど受付ガラスのようにガラス1枚を引くと、庭と混ざってしまう。新しい建物ではこんなことはできないと思うけど、素晴らしかった。
それぞれ最近はまたすごい金額になってしまっているだろうし、またいければとも思えば、我が家で十分だ、と思ったりもしているw
僕は本当にこの建物にいる時間が長い。海にゆき、現場にゆき、買い物にゆき。それ以外ほとんど「引きこもって」いるけど引きこもりな性格ではないはずだけど、出たいとも思わない。
というか、どこに行っても、自分の家の方がずっと良いと思っちゃうので。。
でも人それぞれだろう。昔の民家は閉鎖的で暗くて重いインテリアだったけど、あれは日中は畑や田んぼや外で動き回り、ごやんや寝るときだけ過ごすところだったからだと思う。
同様に食べて寝るだけで良い方なら、家も閉鎖的でも良いのだろうけど、今のストレス社会、外に出れば楽しく過ごしたって、脳が疲れて帰ってくる。やっぱり家にいる時間はそれを癒さないといけない。
嫌いな言い方だけど、ホテルライクな家がいい、という人がいるようだけど、ホテルって心身を癒すために作られてはいないと思う。都市の中で華やかさやワクワクを経験するもの。だから家とは根本的な存在理由が違うから。
それなりにちゃんと調べればわかるけど、昔の人と比べ、今の僕らは間違いなく精神が病んでいる。様々な情報や人間関係や、、、に合わせるために脳みそが古来必要とされなかった能力を求められているんだから、そりゃ疲れる。
自分の家ほど思い切った作りにはできなくても、設計をさせて頂いているすべての家に、こういう思いを出来るだけ乗せて作らせて頂いている。
まず一番大切なのは「素材」本当に美味しいレストランを考えればそれ以上説明も不要だろう。でも「腕」がそれを生かしてこそ。間違っても既製品のソースなんて使わないよね?
かたや、大量生産品はそうはいかない。石油原料で大量に全く同じものを、職人でなくても組み立てられるような簡便さで提供する。ビニルクロスだって石油由来。何千万かけて石油に囲まれて生きている。
LED照明の質も良くなったとはいえ、やっぱり動物である人間は、朝は朝日の波長を浴び目が覚め、夕は夕日の波長を浴び寝る時間に備える。窓からの明かりもなくLEDの明かりで1日過ごしたら体内リズムも狂う。
窓を開けて風を感じ、朝夕の日差しを感じ、葉の芽吹きや紅葉や、虫や鳥の訪れを感じることが、どれだけ精神的な癒しを与えることか。
文章で書くと説教くさいから、2つの宿を例に出して、「でしょ?」と言いたかった。