「あなた」のかなた/幻覚剤は役に立つのか
- 2026.06.28
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僕的には歴代ナンバーワンかもしれない本!だがタイトルが悪すぎるので原題「How to change your mind」または僕が勝手に付たタイトルの方が良いかも?
まずいわゆる麻薬=ドラッグは報酬系ドーパミン=快楽に作用し、依存性が高くて有害なので禁止されている。でもそれを言うとスマホもディズニーランドも同じドラックであるのは間違いない。
他方の幻覚剤はLSDやマジックマッシュルームと呼ばれるもので、自我を融解させるような作用をするが快楽を与えるわけでも依存性もなく、むしろ自閉症や禁煙の治療にもかなり効果があるために1960年代くらいにはかなり実験ー研究されていたようだ。その流れで多くの芸術家なども使い、その効果として世界平和!戦争反対!ジョンレノンなどが活躍した。けど、ニクソン大統領が戦争にゆく若者がいなくなると困るから?もあり禁止したらしい。
そして一度の治療で多くの病気に効果があるため、本書にもあったけど、製薬会社=医者の世界にも大きな不都合だったから、ドラッグと一緒にされて危険なものというイメージが僕らに植え付けられた。
でも本書の本当の価値は幻覚剤が役に立つのか云々ではなく、それが溶かすことになる自我や意識、というものの正体に迫っていることだと思う。
よく触れられる話として、例えば運転をしていて車線変更を自分の意思でした、と思う0.3秒前に体はそのように動いているというのは実験で明らかだそうだ。そしてデフォルトモード・ネットワークDMNの働きがその車線変更をさせている。逆を想像すると理解しやすいけど、レストランでたくさんのメニューがあると悩んでしまう。そんなことを運転中にしていたら事故だらけになる。つまり生きてゆくために自己意思で迷ってる暇なんでないし、それをしようとすると脳が処理しきれないために、子供のうちから経験をする中で、「こういう時はこういう反応をする」というテンプレートを蓄え、その様々なテンプレートの合計が「自分らしさ」になる。だから小さな子供のうちはDMNは働かないらしい。そしてそのテンプレートが強くなりすぎると、「自分はこうしなければ」という強迫観念となり自閉症など様々なものを生み出すから、幻覚剤治療がかなり有効らしい。
そしてその「自分らしさ」という「壁」が溶けて無くなった状態を幻覚剤が生むけど、それは仏教の瞑想などの境地としての「無」の状態と脳波が同じであることも確認されてるみたい。自分の壁が解けるとどうなるか?人間も宇宙も全部同じ原始や電子などからできていて、量子力学の示すところでも(詳しくないけど)それらはある種の共鳴をしているからか、宇宙や世界の始まりのようなものを見てしまい、それは悩みも争いも当然ない世界で、すごく幸せな感覚になる、というのは共通しているらしい。
こんな雑な文章で簡単に理解されても困るけど、ちょっと他の喩えを。
バジルの種をいくつか植える。同じ環境なら概ね同じ形にどんどん育つが、枝葉の形どれひとつとってもやっぱり「バジル」だ。
でも水やり、日や風当たり、種の入手経路、それぞれ変えるだけでもまた結構違う枝葉の形となる。でもやっぱり「バジル」だ。
他方の僕ら人間はどうかというと、1800年代にフランスに狼に幼少期育てられたビクトール少年がいたらしく、その後人間的な教育をしてもほとんど不可能だったらしい。つまり動物としては育つがそれは「人間」ではないと言える。その上で「人間だ」となるには人間は社会や文化が複雑になりすぎて遺伝子などに組み込まれたものだけでは限界が来て、巨大化した脳に頼り始めたが、社会制度が「形式化」しないと運用がとてもできないのと同じでDMNがその形式化を担った。ということだろう。バジルの個体同士全く同じ形にならないのと同様に行動様式も違った人間の個体が出来上がる。ただ上記のように意思を持ってその都度決断をしているわけではない。
だから「自分」なんて僕らが思うことはバジルが隣のバジルとちょっと形が違うからといって、それぞれに意志と個性があるんだと言い張っていることと変わらないんじゃないかな?
幻覚剤を使うとその時から結構な期間、自我から解放され、現実の様々なことに囚われない(だから戦争がバカらしく思えて反戦運動もする)らしい。またオオカミ少年の例のように、人間としての自我の「壁」というのは発達段階の環境によってかなり低くも、現代社会のようにお金や承認欲求に囚われるほど、高くなり、つまり本当は世界の見え方、感じ方は本当に多様でキラキラしている(赤ちゃんには世界はそう見えている)けど自己実現、みたいなくだらないゴールに囚われることで、キラキラとしたものが見えなく、感じられなくなり、またそのゴールへの強迫観念から精神病になってしまうのだと思う。だから幻覚剤が効く。
本書は500頁超える本なんだけど、著者含めたその辺りのリアルな体験談が多いのでご興味あれば読んでみれば、そのキラキラした世界がイメージできるし、ブッダも同じものを見たんじゃないか?と思えると思う。
でも、僕は幻覚剤を使ってそれを体験したいとは思わない。その世界は頭に電極を繋げば虹色の幸せな世界が体験できるのと同じで「身体」つまり五感や他の感覚を失っている。
その身体性を持ちつつ、自我の壁を溶かしたい。それはお金や、権力や、承認欲求や、、、そういうものから離れてけばある程度できることだろう。ふっと思ったのがよく知らんけど藤井風さん。スーツくんなんかも解脱した?まあなんかその世間のみんなが追いかけているものが「アホ」らしく感じるとああなれるんだろう。そして両人とも音楽や旅?を孤高に追いかけている。
かといってみんなが幻覚剤をいつも服用して自分を溶かせば良いなんて思っていない。不要に高くさせられている壁の部分。つまりは経済社会システムにとって価値があると思われている、つまりお金から心を解放する事。
でもね、そのシステム側はズル賢いから、どんどん新たな技術や商品を出して、僕らを洗脳して、それを持っていないと、もしくは美男美女を見せつけて、それが欠けている自分を「惨め」だと思わせることで「お金」という宗教から逃げないように操ろうとしてるんだよね。こんなの陰謀論でもなんでもない事実だ。
DMNを理解すると、西洋文明が前提としてきた「自我」は、主体的に考える葦としての人間なんかではなく、DMNによって操縦された結果を後で自分がやったと思い込んでいるだけだ、となる。そしてそれは選挙権なんて持ったって自分の意思で決めていないってことになるし、何ひとつ自分の意思で決めてない??私って一体なんなんだ?となってしまう。
言葉を変えると、僕やあなたの人生は最初から1本の小説のように最初から死ぬまでが事前に決まっていてそれをなぞった人生を送るだけだ。と言い換えられるのかもしれない。でもそれもおかしいだろうとclaudeと色々話していたら、DMNの実験をした方が、目の前の行動を自分で決定はできなくても「拒否」できることを実験で見つけたそう。またこれは僕のアイディアだけど、目の前の決断はできなくても終わった後の行動を反省して、より良いイメージをすることで、次の行動の判断に影響を与えることは十分にあり得るようだ。
武道でも音楽含めた芸事でも、「型」を体に染み込ませることで考えずともとんでもなく高いレベルで体を動かすことができるように、自分の「こうありたい」を型として日々念じていれば、明日の行動につながるのだと思う。
それをいうと「引き寄せ」なんかもみんな同じってなっちゃうし、スピリチュアルじゃない?と思われそうだけど、別に怪しいものではなく「心の問題」と訳せばそれきりじゃないだろうか。
この本の前に中村天風という人の本を読んだ。大谷さんも読んだ?とかもあり。雑にいうと良いイメージを念じ続けることで叶ってしまう、という意味では結局同じことだなと思う。
そして最後に、「あなた」のかなた。の意図は、あなたが自分と思い込んでいる存在は実は仮設テントみたいなもので、本当はそれを取っ払ってしまえば、素晴らしい大自然の生き物や遥か遠くの宇宙がキラキラと見渡せるのに、その仮設テントの中が現実だと思い込まされているんだよ?という意味でした。本書は幻覚剤を少なくとも医療目的ではもっと有効に、そしてある種の娯楽として使うことも有意義ではないか?という投げかけを持っていた。でも、僕にとってはDMNというのもが仮設テントのように、自分という領域を狭め、そしてそれは幻覚剤に頼らずともかなり取り払ったりできるのではないか?そしてそれを既存宗教や幻覚剤などに頼らず、自分の身体性の中で、自覚的に行うことができるってことが、素晴らしく重要なことではないかと思ったので、冒頭のナンバーワンかも。なのである。
<追記>
ちょうど夜、 YouTubeでタンザニアに住むハッサベ族という、いまだに狩猟採集で生きている人々を見た。数十人単位で移動しながら狩りをし、他の集団の仲間と争ったりはしないそう。また狩りをする男たちのなんとも生き生きとした表情や生き方にちょっと驚いた。日本だって農業で生きていた人間たちは明治時代でも似たようなところがあっただろうし、その頃の写真とかを見ると逞しくにこやかな姿が多く残っている。
その後の複雑な社会や都市生活で、僕らは何を得て、何を失ったのか?「得た」と思っていることに本当に価値があるのか?それと引き換えに死んだ目をした人間になってしまっていないだろうか?