白井晟一、建築を語る

  • 2024.02.26
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「難解」とされる白井さんも建築以外の世界の方との対談だと心が許すのか分かり易く心に伝わる。
とは言ってもやっぱり白井晟一の世界は広く深く、簡単に文字にはできない。でも逆に言うと、形式化した水から狭めたような世界だけをみているような、世の中のほとんどがそうであるようなあり方に対して、人間として生きるってそんなもんじゃないだろう?と自ら実践されてきたのだ。
例えば、哲学というのは受け身でやって頭でっかちになるのではなく、「肉体的な自己との対決ですし、いわば『行』だとしか言いようのないものだ」
「人間の一番元の希いを、民族とか時代とか、そういうものを超えて、自分でもう一ぺん追体験すること。それをやらないと、、本当の造形もできない」
僕は主に木造を設計しながら、日本の文化って素晴らしいと思ってきているけれど、白井さんの作品や言動というのは至って「大陸的」で恐ろしく感じることもあるのだけど、仏教や漢字や西洋的なものも含め、僕ら日本の文化の根っこには当然大陸的なものの影響が強くあり、その上に日本らしさが載っているだけでもある。にもかかわらず、日本人であることに満足して、大陸的な大きな力から目を逸らしている面が強いなあ、と改めて感じた。

白井さんは建築の仕事はそんなになかったのもあり、50過ぎてから「書」に目覚め?1日の半分くらい筆を持つ期間が10年とかあったそう。書についての話も沢山あって、前から欲しいとは思っていたけれどこれを買った。

やっぱり色々書に対する白井さんの話を知ってから見ると、そんなに打ち込んだ理由や、その価値がドシンと重く来た。やっぱり漢字って象形文字で、形に本来意味があるわけで、日本人は「言霊」って言葉に力を感じてきたけど、漢字にももちろんそういう霊性というのがあって、それを書にする。だから深いのだろう。
また改めて書くと思うけれど、今年になってある日本画作家さんの作品と出会い、その考え方も含めて傾倒していて、いくつか作品も買ってしまい、ついでに少し自分でも描き始めたりして。。
「筆」なんていつ以来持ったんだろうって感じだけど、漢字よりずっと前に筆はあったようで、つまり筆という存在が漢字を生み出した面もあるわけで、日本画も本来は筆による線の描画というのがあり、ある種それが日本の漫画文化にも繋がっているわけで、筆というのは文化として侮れないなと。
そして書道も絵画もだけど「何を描くか?」ということの重大さを自ら描くことで考えさせられた。
つまり「本当に描きたい何か」が見えていなければ素晴らしい書も絵も、そして建築もない。
そんな意味で白井晟一は本当それを持って建築や書を生み出したし、おそらく丹下さん含め、白井さんよりずーと沢山作った建築家たちは白井さんの足元にも及ばない。のではないか。。

修行ですね。