日本の難点/宮台真司
総裁選終わりましたが、最中にYoutubeでいろんな言論を聞いて頭が混乱して、ちゃんと納得させてくれるものを読みたくて。
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総裁選終わりましたが、最中にYoutubeでいろんな言論を聞いて頭が混乱して、ちゃんと納得させてくれるものを読みたくて。
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建築設計をする身から、生命がいかに洗練?されてきたかにとても興味があったので進化論などそれなりに読んできていて、僕もずっとダーウィン進化論に納得が行かなかったのでとても面白く読みました。
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以前から、大学の全共闘の真っ只中で生きた先輩の生な話を聞いてみたいと思っていたので、とても興味深く、またいろいろと良い説明がされていて、他の著書も読んでみようと思いました。
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彼(僕より5つも若いのだw)の著書はずっと読んできているし、コロナへ権力者たちの対応がおかしすぎるので、読んでみました。
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先日、親しい方と久方ぶりに飲んで、その時に、子供からの本質的すぎて答えに困る質問、みたいな話で盛り上がり?ました。
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以前よく読んだ、数学者、岡潔さんが、ずっと読んでも分からなかったけどある時わかる様になったら全部分かった、みたいなことを書いていたのですが、今の僕らが原書を読んで分かるわけもなく、これを読んで見ましたが、なかなか良くできた本でした。
ただここ数年、仏教関係の本に素直に興味を持って触れてきた結果でもあり、いきなりこれを読んでも意味不明かと。。
それでも要約したりはとてもできないので、僕なりの乱暴な仏教論を書きます。
「空」という言葉はよく聞くかと思いますが、「確かに自分はいて、ここに確かに本がある」ということは決して確かなことではないという意味を少し探ってみますと、「雲」がある塊で形をつくってたまに何かの形に見えたりして、でもそのうち流れて、形が変わって行きますが、僕らの体も同じく、生まれた時から日々細胞が入れ替わる、つまり原子レベルで出たり入ったりして、それも原子って習ったと思いますが原子核と電子が、太陽と衛星の様にスカスカな状態だけど、同じ様なスカスカな原子が集まって、細胞があって、人体もあるけど、原子レベルで見ればスカスカなわけだし、日々入れ替わっている。でもそこに「意識」って得体の知れないものがあるから話がややこしくなるんだけど、カビの様な細菌だって「個」と「集団」というレベルがあるけど、カビの集団の中である個が死んだからといって何ともない話だし、人間だって本当は同じ様なもののはずなのに、意識があるせいで、「死」を勝手に恐れているだけ、とも言える、と思う。つまり人間も「雲」と変わらないんじゃないかと。
でも雲も原子もカビも、そしてもちろん人間も、宇宙のある「原理」によって支配されていることは理解してもらえると思うけど、万有引力とか相対性理論とか、他にも人間がまだ見つけていないだけでもっと様々な原理があって、それに則って生まれては消え、を繰り返しているだけだし、でも人間には「意志」がある、といったところで、雲が動いているのは雲の「意志」だというのと同じだ、と反論されたらまともに返せないはずだ。
道元はとにかく「坐禅」を重んじたけれど、僕も以前とあるところで坐禅まがいのことをしたけれど、なんだかその意味がずっと分からなかったんだけど、本書のどこかに書いてありましたが、つまり「目的」から離れるためにする。逆にいうと、目を開いて、何か行動をすると、否が応でも「目的」を生んでしまって、仏教が諌めるところの何かに対する「執着」を生んでしまう。
しばらく前に書いたヴィパッサナー冥想は、僕は仏教の真髄なんだろうなと思ったけど、生まれたインドや中国は、大陸で諍いも多く、そんな平和に「目的」から遠ざかる瞑想というのが馴染まなかったのかも知れないけど、日本にはそれが根付く土壌があった、ということなんだろうと思う。そして、坐禅、瞑想をして外部世界からの要らぬ刺激を断つことによって、僕ら一人一人の内に眠っている宇宙の誕生以来の記憶つまり原理が、「さとり」として現れる。ということじゃないかと、真剣にずっと思っています。
頭おかしなことを言っている様に聞こえるかも知れないけど、他の例えをすると、例えばあなたがアリさんだとして、今の人間が思っている様な「私」とか「欲」とか「夢」とか「苦しみ」とか感じていると思いますか?西欧はそういう童話が多い様に思うけど、あれは僕はとてもよくないことだと思っていて、動物は人間みたいに心が汚れていないのに、動物も人間と同じ様に汚れたものだと想像してしまうことに他ならない様に思う。つまり、アリさんは何も「執着」していないし、心の苦しみから解放してくれる「宗教」も必要としていないし、悟る必要もないのだ。そして人間だって昔は同じだったのに、いつの間にか「執着」と「苦しみ」を自ら背負ってしまっただけなんじゃないだろうか。
本書の後に80年も前の古書で「正法眼蔵の哲学私感」を読んで見たけど旧字でもあり難しくて読み飛ばしましたが、著者の田邊元は西洋哲学者であり、本書の要点は、西洋哲学がハイデガーの頃にやっと近づいたことを、仏教はとっくの昔に近づいていた、ということだし、確かハイデガーももっと早く仏教?に出会っていればと言った?様なことも聞いたことがあるけど、裏を返すと、日本人はそれまで分かっていたのに、西洋文化に感化されて、執着と苦しみを大きく背負いこんでしまった、とも言えるし、そして執着があるからこそ発展し、帝国主義となり、弱い国から搾取をしてきたのだから、仏教(と言ってもいろいろでしょうから乱暴な言い方ですが)こそが世界を平和にしうるのかも、と思ったりもします。
と、もう十分、訳分からない!でしょうから、この辺にしておきますが、僕がこんな本読んで、こんなこと書くのも、単なる知識としてじゃなくて、自分がこれからいかに生きてゆくかに対して、とても重要なことだと信じているから、ということだけ書き添えておきます。
ポストコロナなんて、立派な方々が色々に語っているのを読んで頂ければいいのですが、市長がまた軽薄なので書きたくなりました。
その前に、アベ政権が毎日の様に、ツッコミたくなるけど、どうせ国民のことなんて眼中にないんだろうから、とアホらしく思いつつ、一方で、自分の住んでいる地域についてはいうべきことを言っていれば多少は伝わるはずだし、国民みんなが国政に悪口言っていたって時間の無駄だから、みんな自分の市町村から、ちょっとだけでも良くする様に頑張るべきだ、というのは以前から思っていることです。
そして「東京一極集中が崩れるチャンス」というのはそうなんだと思うけど、まず「東京一極集中」の本質から整理してみたいのですが、それは決して単に物理的に人や企業が集中している、ということでは決してありません。つまりそれは結果論であって、本質は「力」つまり政治もですがそれよりも資本という力が集まりすぎていて、その結果、物理的に人や企業が集中しているのだと思います。
そしてそれを前提に考えると、市長がやろうとしていることは、まあ多少人が流入するだろうけど、「デジタルスマートシティ」なんてのは大資本にお金が集まる新しい道具に間違いないし、テレワークが進もうが本社や実質的な「力」が地方に来るわけでもないから、なんでそれが「地方創生」に繋がるの?か全く理解ができない。
今回の自粛期間に宅配にお金が大きく流れたけど、それが僕たちの身近で商売をしているみなさんにほとんど恩恵を与えなかったことを、ポストコロナというならまず考えないといけないと思うのだけど、地方創生を実現するなら、東京や大資本に利益を持って行かれてはダメで、僕たちの出すお金が、できるだけ多く地域に分配される様な「買い方」をすることが最も重要だと(少し前も書きましたが)思っています。
でもそれは政治家や有名人は言いにくいことなので仕方ないのかもしれませんが、大企業が外国産の原料でどこか遠くで作っているお菓子じゃなくて、国産材料で地域の工場で作っているお菓子を買うことの積み重ねが、どれだけ地域を強くするか、想像してみれば分かるはずなのですが、「大企業からできるだけ買わない」を合言葉にすれば、僕はそれだけで「地域創生」が実現できると思っていますし、東京一極集中も間違いなく改善されます。
それにしても我が市長は単なるカッコつけで思想がなさすぎる。
これは本当に良い本です。本当に大切なことを本当に分かりやすく書く、なんて素晴らしい。ポストコロナを迎える今、尚更価値があるかと。
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