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- 2015.09.06
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そもそもブログで気軽に書けるような相手ではないのと、なかなか読み進まずに半分忘れかけているのもあり、乱暴な持論と絡めてコールハースが言っている事の位置づけを考えてみたいと思う。
世の中には「本物」つまり神のレベルでの本物は神を信じなければないと思うけど、「本物らしき」ものがないと人間は地図を持たぬ旅行者のようにさまよってしまうから、宗教を始めとして、「美しさ」「愛」なんていう「本物らしき」ものを発明し、信じ続けて来たと言えると思います。その延長線上で、各国それぞれの文化が育まれ、美しい都市が築かれてきました。つまりその本物らしさ、とは「信じる者は救われる」的な対象と言えます。
一方で近代以降の科学技術の進展はその本物らしさを破壊し続けて来たと言えますが、科学技術が信奉するのは数字的な、万人が見ても間違いない(ように見える)成果であって、貨幣も今や世界の貨幣が交換可能な訳ですから同類ですよね。ですから分析した結果こそが真実であり、分析もせず信じる(上記のような)のは馬鹿げた事だ、となります。
僕はずっと「右翼」「左翼」って政治的な一面的なとらえられ方しかされないけど根っこの意味はどうなんだろうと考えて来て、上の前者が右翼的、後者が左翼的発想なのだと今は思っています。また人間の右脳と左脳もそれに近い違いがあるのかなと思いますが、あくまでそれが対になって僕らの意識がある訳ですし、つまり僕らの思考の中にも右翼的、左翼的両方が常に対になってあると言えるでしょう。
と、無駄に長い前置きですが、ちゃんと関係しますw
建築はずっと右翼的なつくられ方、つまりその地に根ざして生まれ育ってきたものを「信じる」事でつくり続けられてきた面がとても強いと思いますが、近代以降は「理論」が振りかざされ、また経済的側面が要求されて来ましたが、建築家の中にはやっぱりそれぞれの美意識(つまり信じる事)を捨てきれずにいたように思いますが、コールハースはそれをバサっと切り落としたと言えるように思いますし、画期的な事だったんだと思います。
本書のキーワードのひとつ「ビッグネス」というのはそれを象徴していますが、近代現代は、エレベーターとエアコンを発明した事によって機械的にビルを巨大に出来るようになって、そこには建築家の美意識など無関係な次元となってしまうのですが、それは「左翼的」なんだから当然と言えます。
またもう一つのキーワード「ジェネリックシティ」はジェネリック医薬品と同じ用法ですからイメージして頂ければわかりますが、日本も含めたアジアや中東などを席巻していますが、それも「左翼的」ですね。ヨーロッパは既存の都市が壊すに壊せない右翼的な存在だからジェネリックシティ化しにくいのか?一神教の神様がいらっしゃるからそちらに足を引っ張られているのか??
と、いい加減な読み方をしておきながらいい加減な持論を展開してしまいましたが、そういう意味で、今の自分の設計は右翼的ですし、流行りの建築雑誌に載っている「作品」たちは左翼的なものが多いですよね。建築作品での評価や受賞の価値基準も、古い価値体系(見慣れたものや信じるべき美しいもの)を破壊するような新しさを求めているという意味で左翼的ですから、やっぱり僕には向いていないなーとたまに思わされますし、でも僕は建築に限らず生きる事全ての側面において、やっぱり「本物らしい」ものを「信じる」という事が人間らしく生きるためには必要なのだと信じています。
コールハースは多分そんな事は十分に分かった上で、でも今さら僕みたいに「信じる」なんて言ったってこれからの都市や建築はつくってゆけないんだから、もう全ては左翼的なんだよ、と言い放っているように聞こえましたし、でもそれを聞く事で、こんな風に、右と左の違いを改めて考えさせられたのは僕にとっては大切な事でした。
全く書評的ではありませんが、建築設計をやっているなら読むべきでしょうね。