PLURALITY /オードリータン/これからの社会
- 2026.03.05
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先日の選挙でチームみらいが躍進した。政治の話は偏った見方をしてしまうけど、今思うのは政権交代を真剣に目指すつもりのない野党なんて不要ではないか?ということ。でもチームみらいだけは既存の野党とは全く違った存在と映ったから期待されたように思う。
安野さんもオードリータン氏たちのこの大きな流れを目指しているようだけど、断片的に聞いている限りではまだその可能性は感じられない気もするけど。。
Plurality=社会的差異を超えたコラボレーションのための技術。で、民主主義の本来の姿を目指す事ができると。
本書はかなり厚い本で専門的難解なところもあり飛ばし読んだけど、あと二冊ほどオードリーさんの本も読んで、自分なりにいろいろ感じて考えてみた。
「民主主義」って空気のように当たり前だから本当のそのありがたさや役割を考えなくなってしまってると思うけど、その前に「民」の定義をしなければいけない。そしてオードリー氏や、台湾という場所も含め、いわゆるマイノリティ的側面が強いから、それをいかに乗り越えるかが実践されてきたようだ。
つまり、世界は多数決で、声の大きいやつの主張にみんなが合わせるしかないと思っているけど、そうじゃないんだ。「民」というより人間存在ってとてもとても多様な価値観を持っていて、民主主義というのはその少数派もしっかり居場所を持てて、多数派に無理に合わせなくても生きて行ける状態なのだ。
いつものように僕は生命、動物の世界に例えて考えてしまうけど、人間の多様性なんかを遥かに凌ぐ多様性を保ちつつ、もちろん食べて食べられての関係はありつつ、でも全体でまとまりのある世界作りつつ、太古に比すれば恐ろしく多様で豊かな環境を作ってきた。民主主義もそうあるべきじゃないか?と。
動物は先日も触れたように、人間に負けない多様なコミュニケーションをしながら生きている。音や光や見えないものも含め、多様な波で「通信」している。それができるから繁栄してこられたのだと思う。
人間の歴史は、権力者が弱い者を支配し、弱いものが束になって歯向かうことをいかに封じるか?今だって世界の多くの国がそうだし、民主主義と言ったって似たようなものだ。それは弱者や少数派が「通信」して束になれなかったから。でも今こそ、インターネットが始まって、さらに様々な技術が広がって、それが可能になる。というのが本書のポイントだ、と偏ったまとめをしておきます。
ところで、遺伝子も住んでる環境も全く違った生命たちが多様なのは自然なこととして、私たち人類も本当に多様なのか?もしくは多様でなければならないのだろうか?という素朴な疑問が大切だと思う。だって多様である必要はないんじゃない?と言われたらおしまいだから。
そんなことには本書は触れていないので僕の持論にはなるけど、人間はやっぱり「本能が壊れている」つまり動物なら個体は違っても本能で動くからそれぞれの個体が自ら「選択」をして決めているわけじゃない。僕らの細胞がそうなのと同じ。逆にいうと僕らは「選択をしなければならない」し、生まれて物心ついてからのその違った環境内での日々の積み重ねが「個性」を育んでゆくのだと思うし、それはやっぱり人間においては「必然」なのだ。いやでも多様になる。
それを押し殺しては人間に生まれた価値がない。だから他人に迷惑をかけない限りそれぞれが持った多様性を殺さず生きるべきだ。
でも、スーパーに行ったらいろんなスナックが売っているのを選べる、なんていうのはその多様性とは全く違って世界の資本家を儲けさせるために体に悪い者を食べさせられているだけなので、そんなことで満足してはいけない。SNSなどで垂れ流されている情報だって、多様とは言えても精神を病ませるものばかりじゃないか?つまりあなたの心と体が本当に喜ぶものを求めた上での多様性。
AIはうまく使って良い方向に進めば、自分の心と体と脳みそを喜ばせる存在になってくれるが、資本家側の手に渡って仕舞えば、相変わらず心にも体にも悪いものが価値のあるものだと思い続けさせられる。政治と選挙制度も同じ。
という意味でチームみらいにはその責務があるはずなので、頑張ってほしいなと思う。
相変わらずの未消化な文章だw