NOISE
- 2009.06.18
- BLOG
ちょっと渋いDVDでしたが考えさせる面白い映画でした。
自動車の警報装置などの騒音にとても不快感を抱き、そのうち病的というくらいの感じで、警報装置の鳴っている車を破壊したりして、捕まったり、奥さんに逃げられかけたりして、でも最後にはそんな騒音を規制する条例つくりかけるまで至るという内容でした。
とても乱暴な行為にも関わらず、賛同する市民が多く、でもそれらの市民たちは決して自分では出来ない行為だからこそ賛同するという辺りが、考えさせる部分でもあり。
世の中に起こる、問題や事件などは、実はそれを起こした個人の問題ではなく、その社会に内在する体質的な問題の現れとして表面化しているものだと常々思っていました。
例えると、ニキビというのは薬で表面的には収まっても、基本的には体質的な問題であって、表面に出来ている物(ニキビ)だけ見てもしょうがなくて、体質改善をしない事には根本的な改善にならないのと同じく、この映画のような事件というか問題は、車を壊すこの主人公の個人的な性格やそんな問題では決して無く、もし彼がいなければ、多分他の誰かが起こすだろうというか、社会の問題がただ単に、その主人公の彼を通して表面化しただけの事だと思います。
宮崎勤事件も、麻原彰晃も、僕は彼自身の問題では決してなく、社会の体質が彼らを生み出したのだと思うので、彼らを責める前に、この社会の体質を治す事を何故議論しないんだろう??と思ってきました。もちろん彼らを擁護するつもりも毛頭ないですが。
こんな事を考えてつくられた映画かどうかは分かりませんが、つくる側が思う以上には見る側は感じないのは映画も建築も同じだと思うので、やっぱり僕が感じた以上の事がこの映画をつくった側は考えていたのだと思います。
ただ面白いだけの娯楽映画、それはそれでいいですが、そこには考えさせるものは無いですよね。
まあでも、テレビもそうですが、見る側に余計な事を考えさせずに、洗脳するのが彼らの手口ですから、そこは冷静に見極めないと、ただ乗せられるだけになっちゃいますよね〜。
テレビなんてタダで見れてると思ったら大間違いで、同時に見せられるCMに洗脳させられて、価値が変わらないものを高く買わされているんだから、テレビタレントたちにお金を払っているに等しいのです。だから、最近特にテレビタレントたちが、ただ良いリアクションをしていれば人気者になれるような世界は僕はかなり不満だったりします。
僕たちはお金を払っているに等しいとしたら、文句を言う権利もあるはずで、中身の無いリアクションタレントたちは、もっと見る価値のあるタレント(才能という意味のはずですよね)でなければ退場願うべきだと思います。
と、ここで、そんな事言わなくても、嫌なら見なきゃいいじゃん!と思う方は、この映画で、騒音には不満をちょっと感じながら、結局は我慢してしまうという市民たちと同じなんですよ〜〜って、僕も何かするわけでなく、ここに文句を書いてる程度ですが(^_^;)
小さな不満を行動に移さない限り、自分のいる環境は良くならないとうのは真理です!