DISCRETE CITY/原広司さん

  • 2008.01.20
  • BLOG


梅田スカイビルや京都駅ビルの設計者でもあり、ずっと建築のメインストリームからは敢えて距離と取ってこられ、建築の狭い世界でなく、広い視点から建築を語ってこられ、すぐには決して理解されない難解な言論が、実はしばらく経ってから、世の中の主流になっているような、そんなすごい方です。
このディスクリートシティ(離散都市)という本もやはり難解でもあります。
理論としては「位相空間」という数学の概念に依っています。我々が通常慣れ親しんでいるユークリッド幾何学ー距離空間というのは、具体的にどれだけの距離が離れているかを記述するため、ある点とある点には距離的な近さー遠さがはっきりしてしまい、「近いもの」と「遠いもの」に差が出来てしまいます。
一方での位相空間の中の離散空間というのは、今のケイタイ社会のように、距離的な近さを超えて、それぞれの人間が、等価に結びつき合っているような空間ということです。
文字を読むと、離れて散って、という字ですが、必ずしもそういう意味ではありません。
地域や家族などと言ったものは、距離空間と同じく、ある人間に近い人間関係という制約を与えてしまいます。一方での離散的な空間が意味するところは、そんな拘束的な関係を超えて、個々人が独立し等価に結びつき合える可能性を示しているようです。
とは言え、建築や都市というのは「モノ」に縛られざるを得ないわけですし、個々人が、家族や地域に頼らずに簡単に生きてゆけることは言うまでもなく、恐らく原さんの言われたいことは、無批判に無意識に現状の様々な関係性を受け入れてしまっていることによって、様々な可能性を失っているということ、また建築というモノをつくってしまうことによって、その不自由さを助長してしまう事に、意識的になり、可能性を広げてゆかなければいけない、という事なのかなと思いました。
たまたま今日、ダヴィンチについてのDVDを見ていたのですが、既成の学問には価値を置かず、自然のいたる事を自分の眼で見て、自分の考察を立てる事を続けた結果、様々な発明や偉業を成し遂げたとのことです。
原さんの「離散」については今後どんな可能性があるか分かりませんが、本流と思われているところにうさん臭さを感じて自分なりの世界で考える人が後世を動かすんだろうなと思いましたし、近代建築華やかりし頃、敢えて、世界の果ての集落調査を選んだというのも、今思えばとても先見の明があったと言えると思います。
難しいですし、こんな事を考えたからと言って、目先の設計にすぐ影響が出るものでは決してありませんが、やっぱり建築やるからには、数十年、百年先にどんな世界が訪れるのだろうと考えながら、今を生きていかないといけないのかな、と思います。