Dancing tree,Singing birds/中村拓志さん

  • 2008.02.03
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新建築2月号の表紙ですが、テレビや出版もして流行??の中村拓志さんで、びっくりです。
調べた訳ではないですが、表紙に載るのはかなり最年少に近いのでは??という意味でびっくりですが、雑誌社側としても、話題の人なので販売戦略上というのもあるのかなと。。
 
また同号でシンポジウム「カワイイパラダイム」のレポートと、その司会の真壁智治さんの「カワイイ建築」についてのエッセイも載っていて、中村さんもカワイイ的建築の代表みたいな感じで、今月号は「カワイイ」色の強い号でした。(新建築ってこんなだったっけ(^_^;))
真壁さんのエッセイで、1960年とか70年とか、磯崎新さんがいろいろ書いていた頃は、建築が、社会や言葉と強く結びついていて、使い手よりも作り手の論理的な部分で建築がつくられていたけれど、最近(例として金沢21世紀美術館)の学生などは、使い手がいかに楽しそうにしているかをとても重視している。言い換えると、「強い主体」から「弱い主体」、「言葉(論理)」から「身体(感覚)」へと建築を作る側の態度が変化していて、それが「カワイイ建築」につながっていると書いています。
で、中村さんのこの集合住宅ですが、都心の一等地であるにも拘らず、既存の大きい木達を残し、生かすということを建築の原理として、建築の形を「整える」という普通のやり方を捨てた結果として、建築に樹木が貫入したり、樹木によって削られたりした形になっています。
樹木を計測したり、根の位置によって基礎の形を歪ませたり、設計にも施工にも恐ろしく労力がかかっただろう事は見て分かりますし、逆にいうと、それを避けるために、通常は樹木を切って更地にして、建築を設計した後で、必要であれば植栽をする、という事が常識的に行われています。
また作品の解説の中で、「一枚岩の社会自体が存在しないから、建築家のあらゆる問題設定はフィクションに過ぎない」中で、環境問題は今とても危機的で、誰もがコミットすべき問題であるから、という理由で、この設計で樹木を残したと書いています。
でも、その理由であれば、一度更地にして後で植栽を同程度すれば、その方が逆にエネルギーがかからない(変形な建物というのは何かとロスがでます)と思いますが。。ちょっと短絡的な説明だなと。。
「残す」ということにはもっと違う価値があると思いますし、その意味ではこの建築は評価できると思いますが、でもやはり経済ベースで言うと、都心の一等地、だからこそ建築にもコストがかけられ、このような建築が成立した、というドライな見方ができます。
経済(コスト)と環境の問題は往々にして相反するものですが、コストをかけられるからと言って、力業で環境を守った、というようなのもちょっと違うと思います。
経済性もある中で、いかに環境を考えるか、という事でないと発展性も継続性もないですから。。
でも、単純に、既存樹木も敷地の特性ですから、それを活かした結果として、建築も多様で楽しいものになっている、という結果は、とても良いとは思いました。