食べものから学ぶ世界史

  • 2022.11.12
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食料が「人間のため」から「経済のため」のものに変わってしまった、という歴史というか、改めて切実な問題だと思う。
岩波ジュニア新書というのは初めて読んだかも?だけど、高校生くらいなら十分読めるように噛み砕かれつつ、でも大人こそ読むべき内容だとも思う。
いつも思うけど世界のほとんどの大きな問題は、キリスト教徒たちが「帝国主義」なんて性格を持ち合わせていて、それで世界の征服を始めたからだと思うのだけど、その結果、多くの有色人種が植民地で奴隷的に労働させられる過程で、単一の製品や農作物だけを機械的に作らされて元々持っていた自律的な(食糧だけでなく生活全般)生きるための能力を失わせてしまい、アメリカや他の植民地で大量に生産された「商品」としての、体に良くない農作物を買うしか生きてゆけなくなり、、
大体のことはどこかで聞くような話だけど、コーンや大豆ががそのうち需要より大量に作られてしまってきたために、油や家畜の餌や私たちが普段口にするものの中に様々な形で含まれるものに使われるようになった、という因果関係があって、今の我々がとても安く肉や卵や牛乳などを食べられている。その、コーンや大豆が過剰にあったから、とういう原因が先にあったのか〜というところが大きな学びだった。
スーパーで買い物をしても、なんで肉や牛乳や卵がこんな安く買えるんだろう?ってたまに思うんだけど、つまり、その安い肉などに対する需要が先にあったのではなく、剰余した大量のコーンや大豆を消費するために生まれた結果だということ。
それが健康的な食糧かどうかはおいておいても、根本的に何か間違っているのでは??
そんな穀物を閉じた建物で黙々と食わされて、間も無く太って売られてゆく動物たちも惨めだけど、そんなものを無批判に食ってしまっている我々も十分惨めだと思う。
持論なのでたまに書いたりしているけど、「大企業」が関わらなくても、身近な個人や小規模な会社で作れて手に入れられるものは、絶対そこから入手すべきだということ。
自動車やパソコンは難しいだろうけど、少なくとも食糧や、住宅にしても、身近な世界で元々作られ、それが食文化や建築文化を作ってきたのに、世界を股にかけた大企業なんかがそれらを大量に作る(いや低賃金で作らせる)ようになってから、どちらの文化も失われ、我々個々人の豊かさや健康を損なう結果になってしまっている。
でも身近な世界からそれらを手に入れれば、少なくとも僕らの支払うお金の結構な割合が彼らの労働に直接報いることができるし、ずっと良いものが手に入る。
広告的なものを「洗脳」だからと禁止することは、大きな力が許さないから、簡単な話じゃないけど、みんなが少しずつでも心がければ、世界がいろんな意味で良くなると信じるし、そういう僕もそんな実行できているわけじゃないけど、心がけてゆこうと思う。