青木淳さんx糸井重里さん
- 2007.11.13
- BLOG
こんな対談がありました
建築っておもしろそう
糸井さんとの対談ということもあってか、青木さんの人間的な部分というか、どんな気持ちであのような建築や文章をつくっているのか、という事が分かりやすかったです。
子供の頃から、儀式的なこと、制度的な事、型にはまったような事が嫌いで、こうしたらこう感じる、みたいな定型的なものではなく、個々人の気持ちよいと感じる場所や建築をもとめて来ている、と書いてしまうとごく当たり前のようで、でも実は、今までの建築界というのはそういうものに価値を置いて来ていなく、ある種エコールデボザール的な古典主義というか、権威主義的なものをずっと引きずっていた中で、素直にそういう発想で語る建築家は余りいなかったですね。。
また、建築とは、矛盾を見つけ、解決することだと。。
世の中や、身近なところにでも、沢山の矛盾、というか本当は解決したい事が沢山あるはずだけど、それから目を背けて、模範解答的に思われていることを無批判に実行することで安心している事が多い。。でもそんな考えだから、世の中なにも良くはなっていかないわけですね。
そして、建築とはルールを見つけることだと。例えとして、サッカーなどあげられている訳ですが、スポーツは、あるルールがあるからこそ、逆に多様な結果が生まれ得て、熱狂できるわけで、建築も、ルールがあって初めて、ずっと気持ちよくつかう事ができるものを導けると。。ただし、青木さんの場合はルールを決めてもあとオートマチックに導かれる訳ではなく、恐ろしい数のゲームを行ってみて、そこからやっと導かれる、という前提だとは思いますが。
また、工場地帯のように、「人にどう見えるか」を意識せずにつくられたところにこそ、「こちらに分からない理由であるものがとてもきれいだった」と感じさせる魅力があり、逆に、人目を気にしたものは、ただ記号の操作をしているに過ぎず、何も新しさがない、と言われています。
なんだか様々なメディアが建築を取り上げるほどに、そんな人目を気にした、スタイリッシュな建築が幅を利かせてきているわけですが、スタイリッシュは悪くないですが、それが目的になってしまっているのは、軽薄すぎない??と思うわけです。
読んでみて、な〜んだ。発想は素朴なんだ〜と思ったりしてしまいますが、だから素朴な感性だけで建築ができるか、と言えばもちろんNO!で、様々な理論や知性や感覚をベースにした上の素朴さ、というべきか。知識も経験も大切ですが、でも最後にそれを統合できる、健全な感性を失ってはいけない、という事だとも言えると思います。
土曜日が楽しみです。