間・日本建築の意匠ー神代雄一郎
- 2022.04.08
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先日の「挽歌集」にあったので読みましたが、建築の世界でもまだまだ読んでおくべき本があるなあ、、深いなあ、、と思いました。
磯崎さんが神代さんを「隠者」と評したのは、「巨大建築に抗議する」という投げかけが、人間本位で考えれば真っ当な批評に違いなかったのに、資本社会の大きな力に独り歯向かう形となり、その大きな力に寄り添うしか表通りを歩けない世の中で、そうならざるを得なかった、ということでその結果「長期にわたってこの国の建築を不毛に陥れることになった」と書いていましたが、それは今も続き、流れに乗っただけの建築が幅を利かせてしまってますね。。
そして本書、読みやすいですがなかなか深いので手短な解説的なことを書くのはやめますが、日本の「尺」やコルビジェらが言った「モジュロール」のようなものが人体の寸法から生まれた単位として建築を作る際に役立つ?という次元ではなく、そもそも人間はどんな大きさの空間を求め続けたのだろうか?そしてその尺などはその結果から抽出されたものに過ぎないのではないか?というスタンスで日本の古建築などを分析し、3間x3間=9間(長さサンケン広さココノマと読み今の坪と同じ考え方)今で言うと5.4mx5.4mで18帖の正方形の広さが、その求め続けられた広さではないか?と言う。またそれを4等分した四畳半という広さが茶室などにもつながる人間的な広さにもなる。と。
そして詳細は読んで頂ければ、ですがその広さのものは連綿と作り続けられていて、さらに面白かったのは「能舞台」もその広さで、結果演者などがとてもちょうど良く見えるスケールになっている、と。さらにその広さの起源として、日本は本来農耕民族であり、仏教が入ってしまうとその影響が強すぎるので、原始の農耕集落がどんなものだったのか??でもそれはなかなか捉えにくいのだけど、天皇即位とかかわって取り行われる「大嘗祭」というのは「かつては最高最大の農耕の祭であった」からその建物こそ伝統を伝えるのでは?と調べ、9間ココノマとの繋がりを読み解いています。また柱の立ち方について、が中央にあるのは「神」に対するのに対し、中央が柱の間の場合は「人」に対している(梅原猛さんが法隆寺について推論したこととつながり面白いところですが)というようなことも複雑な話なのでうまくまとめられませんが。。ただやはり、大嘗祭で使われるものがなんだ?と言えばそうかもですが、なんらかの重たい根拠がないはずはないので、そこには古代日本人が持ってた、人間(や神)を入れる器としての建築の形が反映されていたに違いないとは思います。
こんな風に日本の伝統の中で定着してきた9間ココノマという良い広さが、戦後のやむを得ないけれど最小限住宅的な時代を経て、その感覚自体が失われてしまったことが残念で、その復活を求めたい、というのが「9間論」の一つのメッセージで、光浄院客殿の主座敷などその広さのものも多く、建築設計をする私たちはその価値や意味、というものを改めて知り直さなければいけないように思います。
ただその9間という広さや、間という長さ自体にも合理的な根拠なんてないじゃん?と言われればお終いだし、そういう考え方の延長として、今のカオスな建築表現になってしまっているように思います。つまり、私たち人間(もっというと原始生物だった時からの記憶)の感覚、感性は理屈や時代によって変えられず、つまり「良い」と生身の(画像で映えるじゃなく!)体が欲するようなものを、本来建築は志向すべきであるのに、そんなの単なる懐古趣味でしかなくて、新しいものをみんな求めてるんだよ、という時代がそのカオスを産んで、そんな建築は私たち人間の心身を害しているだけじゃないか、と思ったりもします。
広さもですが、素材やデザイン含め、「この空間気持ちいいからずっと居たいなあ」と思うならそれはあなたの心身がそれを求めているからだし、1時間もいると落ち着かなくなるようなら、やっぱりそれは心身に悪いと言わざるを得ないという意味で、せっかく大きな金額をかけて自分で建てるのであれば、ずっとそこに居たいと思えるものを、もっと追求して作らなきゃ、本当に無駄だと思います。