重源/など

  • 2025.01.05
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年末年始、またこんなのばかり読んでました。
まず、国宝などの仏像や建築、ピラミッドなんかも、どんな「こころ」で向き合って作られたのだろう?と思い仏像がどう作られたか?について。
聖なる仏像は聖なる存在に作られるべき、ということで僧籍を持った仏師の集団が腕を振るい、良い仕事の結果に高い僧職を与える、ことで造られる仏像にも箔がつく。そして結果運慶、快慶のように大きな名を残す仏師も現れた、と。やはり祈る心がある者が生み出してきた、というのは想像通りだったけど、流派争いのようなものも結構あったようでそんな心の清さは関係なかったのかも?。

重源は名前は知られているし、特に建築の世界では磯崎さんが書いた文章を読んではいたけれど、もう少し知ってみたくなって二冊手に入れてみた。
ご存知の巨大な大仏のある東大寺は奈良時代に造られ、400年後ほどに源平の争いの時代に焼けてしまい、重源が中心となって復興し、本堂はまた400年後くらいに焼けてしまうけど運慶たちの像があるあの南大門はその時から残っている。ということを振り返るだけでも燃えなかったら法隆寺のように1000年とか存在し続けるのか、それもあの巨大な木造建築が、と改めて驚く。
でも奈良時代のものは仏像も強度が足りずにかなり痛みかけ、本堂も補強で継ぎ接ぎだらけだったようで、再建にあたっては予算もない中で重源がかけずり回って、策を巡らして、先進していた宋へ渡った経験などを生かして、奈良時代よりずっと大きく強い本堂などを再建した。大仏様、和様とも呼ばれるけど、その制約の中で、宋から学びつつ、重源たちが新たに生み出したような様式。それが1000年の時を超えて、とやはり建築というのは夢のある仕事だ。
お金も、前例も、建てるのに必要な巨木(樹齢1000年以上とかその時代にもなかなか見つからなかったよう)もないのに、15年といえば長いようで、その間に人を動かし、材料を動かし、職人を動かし、実現した、というのはやはり恐ろしい実行力だ。それは無から有を生むようなダイナミクスでもあるけど、ピラミッドで以前言われていたような奴隷に苦役をさせて、なんていうのは特に乱世で餓死者が転がっているような時代にできる訳はない。でも食や職に植えている民はごろごろいるわけで、それを生かし、東大寺を作るためだけでなく、結果関連産業がそれぞれの地域に残るような配慮もしながら行うことで、国全体の繁栄にもつながる、という重源がそんなことを意図しながら進めたようなのだ。仏教で「作善」というようだけど、仏像やお寺を作ったり、道を作ったり、日々の良い行いも含めた善行を通じて仏道を行う、という考え方を重源はしていたらしく、逆にいうと純粋な宗教心はあまり持っていなかったようだ。
建築の世界にいる自分として、すごく考えさせられたけれど、住宅という小さい存在のようにも見えても、そこにはかなりの人間や材料やお金も動いているわけで、思いとしては重源が東大寺の復興にかけたくらい強い思いを持ってやることだってきっとできるはずだし、それを最初から諦めているから今の時代に国宝になりうる建築なんて生まれないのだろうと思う。真剣にやってきたつもりだけど、まだまだまだ、、だなと。

一方、純粋な仏教について??道元の正法眼蔵(本書はまだ分かりやすく書かれてるけど)や仏法の世界なんて、現実世界から逃避しているだけじゃないか?と読めてしまったりもする。聖書も仏典もちゃんと読んだことなんてないけど、あれって結局、本当はキリストも仏陀も、言葉にならないようなことが教えであり悟りなのに、それを伝えるために無理やり文字にし始めてしまい、それに対して解釈をするためにさらに小難しい文章になったりし続けて、もう誰も分からない世界になっていて、道元はそれを自分なりに解きほぐそうと書いたけど、やっぱり解きほぐす相手が巨大すぎて、難解極まりないものになってしまっているようにも思う。
でも要点は何かというと、結局「座禅」のみが自己を溶かし、正しい世界を見せてくれるのだから、座りなさい。みたいな。ずっと前にヴィパッサナー瞑想というのを読んで、それがその坐禅と変わらないし仏陀が得た真髄のように思っているけど、逆にいうと念仏を唱えれば救われる、というのは庶民を安心させ釣るための方法に過ぎない、と言えるのか?だから道元は追い出されたわけだしw。

新年から相変わらずですが、重源についてはとても良かったです。
伊藤ていじさんは建築史家?(磯崎さんと同世代)なのでかなり史実に基づきつつ建築の人間として重源の心を読んでいて、悪党重源は小説なので半分フィクションですがその分引き込まれる面白さもあります。