軽井沢ー村野藤吾建築

  • 2007.12.01
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続いて、村野藤吾さんの建築編。
まずは八ヶ岳美術館。
村野さんの建築はとても好きなのですが、正直、ここは寂しい気持ちでした。
村野さんは、素材の使い方や、細かな形態など、とても濃密な感覚を与えるような建築をつくられて来たのですが、この美術館は、多分思うに、コスト的にとても苦しかったのか、外観内観ともに、少し軽薄な表情になってしまっていました。
プランとしては、丸い単位をつなげて、外観と内部空間を構成しているのですが、真円を基本としているところが、少し、幾何学的な素っ気なさにつながってしまっているのも村野さんらしくないところのようにも感じました。
偉そうな事を書いてしまってますが、村野さんの建築がとても好きだからこそ、正直もの足りなかったので。。
次に小山敬三美術館。
小振りながらも、こちらはさすがに村野さん!!という建築でした。
フリーハンドで描かれた平面と立面をもち、地面から生えて来たような形状と肌をもち、粘度模型で形を決めながら、それをもとにスタッフが図面を起こした、と聞いていたような設計手法がとても特徴的に現れた建築だと思いました。
自然界のものは、全てと言っていいほど曲線で出来ていますが、建築物に至っては、とくに近代建築以降、直線に頼りすぎています。その雰囲気の中で、このような任意な曲線を使うことはタブー視されていた面もありますが、でも、自然界を見れば、曲線が自然であり、でもでも、建築をつくる時に、任意の曲線でもって空間を構成するというのは、正直とても勇気がいる事です。その理由はやはり、センスが問われるからですし、逆に言うと、世の中には、センスのない曲線建築も沢山あります。
こんなに自由に、曲線を生み出し、それが、こんなに自然に感じられる、というのは、やはり努力を伴ったセンスがなす業だと思います。
内部空間も壁が湾曲し、更に床も少しづつ下がって行き、それが胎内のようななんとも言われぬ落ち着いた気持ちにさせてくれるような空間でした。
「現代建築愚作論」でも、名作を生むためには、沢山の愚作をつくるべきだと書いていました。
その意味では、前者は愚作、後者は名作かな、と感じました。
前者も、もう少し状況が違ったら名作になったかもしれない、後者も一歩間違えが愚作だったかもしれない、ただ、どちらにも、大変なエネルギーが注がれていた、それは間違いのないことだからそう言えるのだと思いました。