身ぶりと言葉
- 2014.04.13
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ハイデガーの「存在と時間」を昔読んだときのように、なんでもっと結論めいた事を端的に言ってくれないのにこんなに厚い本なのだ??というような、文庫版600P以上で2000円もする本です。
まあつまり、とても生で理解できるような読み方はできず流して読んでも随分かかってしまい、ここに書くのも止めようかと思ったのですが、、まえがきのように「動物を人間から区別する二つのもの、つまり文化と言語を考察することによって、人類の本質を解明しようとした」書と言えるのですが、何故本書がこんなに精緻でまわりくどいかの理由は「存在と時間」同様に、「人類の本質」なんてとんでもなく果てしないテーマなのですから、こうならざるを得ない、つまり人間の本質は軽くまとめて語る事なんで不可能である、という事を改めて感じた事だけでも書き記しておきたかったし、専門家向けの内容も多いけれど、今生きる私たちへの強いメッセージを含む書ですから、やはり私たちも逃げずに向き合って、自分たちがどこから来て、どこへ向かうのか?を考えなければいけないのだと思います。
で、済みません、著書そのものからの引用はできませんが、最後に解説で松岡正剛さんが、著者が最後に示した3つの事を彼の言葉でまとめなおしているものを引用します。
「ひとつ、われわれは多くの人間にとって結末が分からないような技術、たとえば原子爆弾のようなものに、我々の未来をゆだねるのはやめるほうがいい。我々が未来を賭けるべきは、その中身が分かっていない人間そのものであるべきではないか。
ひとつ、そういう人間も、また地球もいずれは終末を迎えるのだから、その終点からすべてを逆算してすべての計画や技術開発を考えた方がいいのではないか。
ひとつ、今やあらゆる技術が個人化を目指している。これを突き進めれば、世界は個人に注入できるというふうになっていく。それでは集団も社会も要らないわけだ。そんなことをしてどうなるというのだろうか?我々はそろそろもう一度、動物から人間社会に及んだ集団と社会の意味を問い直し、継承すべきところを継承していくべきなのではないか。」
人類の本質を考え抜いた著者だから発する事ができた、我々がこれからどこへ向かうべきかを示したてもとても大切な事だと思います。
今の私たちは、余りに身勝手で、前しか見ていない愚かな存在だと言って良いと思います。