資本主義の次に来る世界
- 2026.01.04
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GDP比2%以上の成長がなぜ求められるのか?世界はなぜどんどん物価が上がるのか?
漠然と感じていたそのことを分かりやすく説明してくれているけど、つまり「資本主義」のため。
そしてその生まれてきた歴史は産業革命以前の、領主と農奴の関係が世界的な資本家と奴隷の関係に移行しつつ、その差別的なあり方を本質的にもちづづけ、「搾取」することで資本が成長を続けないとダメなシステムになってしまっている。けれど、先進国のGDPは地球の生態系を破壊するに十分なレベルで、かつ半分くらいに減らしても公的なサポートを怠らなければ我々の幸福度はむしろ向上する。と。
先日AIについて書いたけど、スマホでも自動車でも同じだけど、なければなかったで違った良い世の中になっていただけで、むしろなかったら?と考えると実はずっと人間的な世界になっていたと思わないだろうか?つまりAIも結果そうなると思う。でも資本主義がそれを許さず世界中の資源や労働を搾取して資本同士の競争をして作らなくても良かったものを作り続け、資本家が大きくなり続ける。
本書はそんな世界を何とかするための処方箋も示すけど、それより僕は個人的な消費行動をちょっとずつ変えてゆくほうが良いと思っている。つまり、大資本がつくるものはできる限り買わないようにする。もちろんスマホやパソコンを手放すわけにいかないけど無駄に新製品にこだわらず、食品や衣類や雑貨にしても原料や作る人がわかるような、そして石油や添加物や、使わなくてもよい原料をつかっていないものをできるだけ選ぶ。僕の建築設計も同じスタンスだけど、つまりは本当に必要なもののために、素材を選び、丁寧に良いものをつくる。
それを可能な範囲で心掛けると、ちょっとずつ身の回りが変わり、心が変わり、いつか世界も良くなるかも?
政治家に期待しないわけじゃないけど彼らは国という全体を担う以上資本主義を否定できないだろう。だから僕ら個人個人が小さな反抗をするしかない。つまり大金持ちの資本家や有名Youtuberなんて羨ましくないどころか、大切なもの見失ってない??僕はもっと幸せだぜ、と言えるような生き方や消費行動をすること。
それがでも難しいのは資本主義の世界は「洗脳」社会だから。奴らは巨額のお金で政治やメディアを支配して広告で自分たちの大して価値のないというか世界を搾取してつくった本当は価値の低いものを欲しがらせる。
新興宗教が洗脳によって巨額の布施をさせて人生を壊させたら、責められるだろう。同じ質のことがここにはあるのだから何らかの法規制があってしかるべきだけど、上記のように権力側は握られている。
だから相手はいつもぼくらを洗脳しようとしている、ということに自覚的でないといけない。
資本はウィルスに似た振る舞いをするという。それ自体で複製できず宿主に感染することで自己増殖を始め、拡大しつづけ宿主を滅ぼしてしまう。と考えると恐ろしさもわかる。また現代は人新世(つまり人類が地球の在り方に影響を与える)ではなく資本新世(資本主義が地球を壊す時代)ではないか?と。確かに元凶は資本主義でしかない。
本書ではアニミズム的世界観をもち、LESS IS MOREの精神を勧めるが、僕ら日本人には言われなくても分かっている。が、資本主義の大家の皆さんには言っても伝わらないし西欧の思考回路には馴染みにくいだろう。
資本主義による無駄な成長による炭素を放出しまくる世界を諫める内容なのだけど、その文脈で言えば、日本には使うために植えた杉桧が大量に育っていて、それをもっと建築で使って代わりに苗を植えることで若い木が二酸化炭素を吸って炭素を固定してくれるのだ。それを使わずに遠い外国の木材を、それも切り刻んで接着材でくっつけなおして、外国で安く作らせたつくらせた木目柄の樹脂製品で家を建てたりしている。そこの部分では僕もそれなりには地球に貢献できているとは思うど、相手は巨大だ。コツコツ頑張ろう。
でもそれ以上に、つまり国産の木や天然素材を使うのは良いこととしても、それをいかにデザインするか?料理に有機野菜を使うことはよいとしても、それが継続してこそ意味がある。という意味では建築も長く愛されて使われて残る。というところにこそ本当の意味があるので、数十年後に簡単に飽きられないような、それはやっぱり背骨となる思想を持って、未来に問いかけるようなつもりで作らないといけないと思う。
LESS IS MOREと言えば、よく取り上げるミース。コルビュジェの建築はやっぱりあの時代のものだな、と思ってしまうけど、ミースはいつ見ても新しく感じる。コルビュジェは「自分」のデザインだったともう一方、ミースはある種「無私」の境地にいたように感じるし、村野さんも全く違った方向だけどそうだったようにも感じるから、結局今でも愛されている建築が多いように思う。