言葉と物

  • 2011.01.03
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つい乗りで買ってしまったからには時間のある今読もうと覚悟しましたが、正直中間はある程度流しました。汗。
「存在と時間」もそうでしたが、正直そのまま読んで理解出来る程生易しくはないです。でも逆になんでそこまで難解でなければ語れない事なのか?と考えてみる必要があります。
この書でも、「このような西欧文化の大きな断絶をふたたび明らかにしようと試みることによって、われわれは黙りこくったままおとなしく身動き一つしない大地に、分裂、脆さ、亀裂と言ったものを回復させてやろうというわけだ」と書かれているように、我々人間が当たり前のように前提としている様々な事(知、歴史、言葉などなど)というのは大地のようで確固としたようで、でも実は確固としたものなんかではない、ただ、そこに亀裂を入れるためには大変な慎重かつ膨大な作業が必要だと、だからこそ難解にならざるを得ない、とそんなところでしょうか。
また、「18世紀の曲がり角で古典主義的思想の地盤がそうなったように、くつがえされるとすれば、そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」と結ばれています。大げさな、というかもしれませんが、ある程度本書理解できれば納得できる言葉なのです。
難解で、かつとても横断的に様々な新旧の知の世界を引きつつ、上記のような結びに至るわけですが、これまた裏を返せば、フーコー以前が横断的である事ができなかっただけ、とも言えるわけで、だからこそ、確固とするべきでするべきで無かった大地がそうなってしまったのかなと。
本書は決しておすすめするものではありませんが、こんな話もちょっとは理解できるとものの見方が変わって良いと思うからこそ僕は無理して読む訳です。全然なレベルですが。。
これをきっかけに、今年はもう少し、建築やそれを取り巻くさまざま事について、思索を深めてゆきたいなと思っています。
皆さんも一緒にどうです??楽しいですよー。笑
ここまで難解なのは続かないと思うので、もう少し簡単なものでも、月1くらい勉強会でもできたら良いなあー。僕も読んでるだけだとやっぱり身にならない面もあるし。
希望する方が3名超えたらやろう!!だれかーー。笑