親鸞復興
- 2009.02.01
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1995年に出版された時に買ったはずで、一度読みかけたはずだけど、最近また読みたくなって読み直しました。思想家吉本隆明さん(吉本ばななさんの父)の本です。
親鸞??宗教??怪しい本??なんて感じる人が多かろう事が、「宗教」というものが歩んで来て、今置かれている状況を示しているんだろうけど、吉本さんも決して宗教に近いというより距離を置いている方が、何故親鸞について書いたのだろう??というのが買った理由だったように思います。
その理由でもあり、大切な部分として「入り方とやめ方の道がついていない集団の思想はだめだ」という言葉があり、宗教も思想も政党でも、誰でも出入りできるような広場のような場所に出られないような閉鎖性を持ってしまったら価値はないんだけど、そうではない有効な思想というのをきちんと考えないといけない!のです。
そして幸福の科学や(あの!)オウム真理教などの新興宗教も、一方では評価しつつも、短絡的で「内省的でなない」のでと言っていますが、つまり、何か外部の神のような存在を短絡的に持ち出すというのは、裏を返すとその神のような存在を信じる人間にはとても訴えるものはあっても、逆にそれを信じない人間には閉鎖的になるので、上記の「広場」には出てゆけない宗教だという事です。
その意味で、親鸞というのはとても開かれた考え方をした希有な宗教家だということなんですが、それまでの仏教の厳しい修行を否定したり、善行をすれば極楽に行けるという考えを否定したり(善人なおもて往生を遂ぐいわんや悪人をや)。
修行なんて誰にでもできるものではないし、善行はその人の置かれた環境でだれでも出来る訳でもない、そんなものをハードルにしてはダメで、誰もが平等であるというのが根本にあるようです。そしてその根本姿勢こそが上記の広場の思想であるわけです。
でも、やはり宗教でも思想でも、広めてゆくためには新しい人間を引寄せ囲い込む必要?があるわけで、その中でどこか何らかのハードルをつくり閉鎖的になってしまう傾向があることは常に戒めなければいけない、と言っているのだと思います。
自分は無宗教だからと目を背けてしまうのは簡単ですが、一方では今までの人間存在にとても大きな影響を持って来た宗教というものに目を背けすぎた結果、そんなアヤシイ新興宗教に盲目的になってしまう人間も現れてしまったのではないでしょうか?