西行から最澄へ/和歌と日本仏教

  • 2024.08.15
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仏教に関する本ばかり読んでいるのはなぜ?と聞かれたら、まずその仏教は現在の日本の仏教やお寺と全く無関係で、今の仏教は僕が知りたい大切なのものはほとんど残っていない、と言う前提で、古来からの日本仏教には、日本人の文化を育んできたとても大切なものが含まれているから、と答える。
釈迦の伝えた仏教はもちろん素晴らしいけど、「日本仏教」は中国、韓国を経由して入ってきて、元々アニミズム的な神話に溢れた土壌に仏教が入ってきて、よく言われるように釈迦の仏教とはかなり変質している。でもそれこそ、日本人の「ために」生まれ変わった仏教だと言える。
最澄という人は空海と共に、奈良の権威化してしまった、個々人の悩みを救えるような存在ではなくなってしまっていた仏教に対し「密教」という、個々人が生きることへの悩みに寄り添った仏教を中国から持ち込み、これまた彼らなりに変質させ、特に最澄に関してはその後の親鸞や道元などその後の日本仏教の大きな流れとなっているだけでなく、和歌だけでなく茶道などの日本文化に大きな影響を与えたのではないか、という。
その日本仏教とは何か?最近も書いたと思うけど、「宇宙との根源的一体感を求める」ものであり、それこそが「成仏」だから死んでからするものでなく生きながらにして成仏できる。自分の小さな生死がどうとこだわるなんて次元でなく、全てが宇宙と一体化してゆくことだし、今の量子力学も同じようなことを指し示している?僕らは粒子の集まりでしかないけど、それは宇宙の大きな力、原理によって支配されている。ただそれを素直に感じるだけ、と言えばそれきりだけど。
そして、それを感じさえできれば「煩悩」に振り回され、日々の悩みに追われるようなこともなくなる。
そしてその境地でさまざまなことに取り組めば「道」が見え、和歌や茶道や俳句の世界になる。
ところで学校で「和歌」ってそれなりの重さで習ったし、古今和歌集など、天皇などが一生懸命読んで選んで、それが今に伝わる、なんて何故?と皆さんも思ったんじゃないかと思う。
その選ばれている中で栗田さんが西行を特に取り上げるのは仏教的「無常感」を追求していたから。そして西行は真言宗の僧侶でもあったそう。そして西行が日本仏教のエッセンスを和歌として言葉にし、それが利休の茶道や芭蕉の俳句に強い影響を与えたのではないかと。
大袈裟な、と思うところもあるけど、「花があり紅葉があればすぐ歌になるというものではない。逆なんだというのです。立派な和歌があるからこそ、和歌という形式で言葉にして歌うからこそ、桜の花を美しいと感じることができる」「歌によって洗練されてきた言葉と心がある。だからこういうものを美しいと感じることができる。」
「西行法師が特に重要なのは、それまでの思索の枠を超えて、無意識に表現の道具として用いてきた言語を、際立って自覚的にした点にあると言える。。。すなわち自己と存在の間の問いかけ、表現と真実との同一化を目標とする際どい人間存在の賭けとしての言語を最初に意識し語ったのが西行法師だった。」哲学を多少でもかじった方ならこの表現の重さは理解できると思う。そして「無常」というものに深く向き合う。
よく引用される「何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」とか本当に深い歌だなあと思うし、能なんて生まれたのもこんな世界観があってこそだと思う。

で、まとめ?
日本人の四季やさまざまな自然に対する感受性の高さやそれに対する表現の豊富さ、というのは良く言われ、この現代になってもまだまだ残っていると思いますよね?そしてその感受性が日本の建築含め、さまざまな文化を育んできたということは間違いのないこと。今後情報社会のさらなる進展と混乱で日本人のアイデンティティなんて軽んじられる一方なのかもしれないけど、それを大切に感じる心と感受性が少しでも残っているなら、何故日本人は、日本において、このような文化を作り上げてきたのか?について徹底的に考えてみるべきだと思う。
そして僕は住宅などの建築を作りながら、その日本的なるものに惹かれ、出来るだけそれを表現してゆきたいと思っているので、「和歌が詠みたくなる」というのは難しいにせよ煩悩から逃れ、清らかな心で自然や時間の移り変わりを愛でることができるような、そんなものが作りたいと思っている。
そして無駄に派手なデザインや、樹脂製品や、サイディング、クロス、なんてものは「売れるため」という煩悩しか感じられないので、決して使わない、というのも通底しているのだ。