草庭/堀口捨己

  • 2023.10.11
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古書で買った1948年の初版?すごいな。
そういえばYoutubeかで、今のインクはそんな長持ちしないからそのうち文字が読めなくなる?みたいなこと聞いたけど、この本は色は紙はかなり茶色っぽいけど文字は全然読める。今の本は100年も残す価値はないということなのかもしれない。
本書には「建築における日本的なもの」と「茶室の思想的背景とその構成」などの論文が入っており、その二つを読みたくてネットで調べて買っておいた。そして改めて書くことになると思うけど、訳あって堀口捨己をもう少し読み込んでおきたくなり茶色くなりかけた本を手に取った。
「建築における日本的なもの」とは、磯崎新もそんな本を出していていつかここでも書いていたけど、堀口さんのことにはあまり触れていなかったような?まあ元ネタはバラすものじゃないか。
先日の「日本史の誕生」と同じで天智天皇の頃百済が滅び、中国と新羅が脅威になり、それに対して日本書紀を作らせたりして「日本意識」が定められて行きながら、寺院建築なども中国からの影響から離れた日本意識が現れてきた。と。でもそれ以前に気候の違いや民族性の違いから、中国の様式を結構アレンジして来た結果でもあり、決して表層のイメージとして作り上げたものではない。
西洋もだけど中国でも寺社は厳格にシムメトリーで、威厳を持ち、西洋は石で作ることで永遠さを表現もしている一方、出雲大社、伊勢神宮という日本にとってとても大切な建築は全く違った方向のものである。僕はそれは民族によって「神(的な存在)」をどこに見出すかの違いで、日本はアニミズムのような原始性を持ちつつ失わないまま、何故か大きく進んだ国になったからではないかと思う。
また日本の寺社もだけど書院〜数寄屋〜茶室という流れは、西洋などのように芸術と一体化したような建築とは違い、「床の間」に書画などを囲うことで観る側との距離を作り、また季節や来る人によって常に飾るものを変える、というのは西洋の芸術への向かい方と根本的に違う。そんなところに日本的なもの、を見出している。
「茶室の、、」は少し前に読んだ「利休の、、」とは異なりエッセンスがまとめて書かれて理解しやすく、内容も濃く興味深い。茶会というのは「主人」が「客人」と濃密な時間を過ごす、というのが大切なところだけど、今の茶道にそんな意識はあるのだろうか?むしろ現代においては着物も脱ぎ捨て、狭い茶室ではなく、新たなやり方で、そんな主ー客が渾然一体となるような会を生み出してゆくべきじゃないかと前から思っているけど、茶の歴史など学ぶほど、そんな簡単ではないことも分かる。
また利休が茶を発展させた時代は、信長、秀吉の「派手」な時代だったからこそ侘び寂びを求めたのだと思うけど、同じように現代の「乱雑」な時代にも侘び寂びが必要ではないだろうか。

ちょっと興味深かった部分として、シムメトリーな形態は端正で、不動の形で、運動を考えるなら正面方向の前後の直線運動のみであり、直線な道路や並木がそれを強めると。一方日本の建築はアンシンメトリーで不安定で、曲線的な運動であるからこそ、線、面、立体として量的均衡を保った場合においては「不安定は逆にいかなる方向に対しても、それは絶対に運動をもたない安定となる。」「数寄や侘びや寂の茶室が、、、静かな動きのない形を要求される建築が、アンシムメトリー形態を取ることは、最も自然な帰結である」。そして茶室建築はアンシムメトリーであるために「構成的」で「線と面と量とによる比例の世界において、本来動的なものを構成的均衡によって生じる安定の中に、茶の湯の侘しい感じや静かな感じの要求と調和を得ている」。そして表現法が構成的であるために、必然的に材料的に多素材主義である。多素材において初めて構成的効果が現れるからである」。と
今まで茶室がなんであんなデザインをされて来たのか?こんなまとまった解釈は聞いたことがないように思ったので、とても勉強になった。僕は今の住宅もそんな静かな存在を目指すべきだと思っているから。
最後に、「この茶室の影響によって、我が国の一般住宅がいたずらな記念性と無意味な装飾から免れていることは、非常に大きい寄与であると言い得る」というのは現代の家は残念ながらほとんど失われているけど、やっぱり日本の家はそこに戻るべきだと強く思う。
と、引用だらけだったけど、僕自身後でメモとして読み返すため書いているようなものなので。。