職人衆昔ばなし
- 2017.06.03
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先日の「職人」同様、小林秀雄さんの対談で出てきたんですが、こちらもとても面白かったので、建築関係や職人さんには読んで頂きたいです。本書は著者の斎藤隆介さんがそれぞれの職人に語らせる、という体を取っていて、特徴ある話し方もそのままに、本当に職人のおじいちゃんがそこで語りきかせているような雰囲気がまたなんとも言えませんでした。
本書は1967年、50年ほど前ですね、出版され、まあそれもそれぞれの職人が随分高齢になってから聞き取った?ということですが、「職人」の竹田米吉さんもそうでしたが、昔のことを本当に生々しくよく覚えているなあと感心したのですが、そこにはその当時の職人が置かれていた時代性があるように思いますし、それは本書を読むとさらに感じられたように思います。それはまず「年季奉公」という当時は当然だった、けど今ではありえないような、職人になるためには厳しい雑用から、それも厳しい環境の中で長年やらなければいけなかった、ということがあったように思います。つまり、毎日同じ事をかなり繰り返したし、その過程で怒れたり、殴られたり、たまには楽しいこともあったり、と人間関係的にかなり濃密な環境があったからじゃないか、と思います。逆に今のぼくたちはぼんやりと学校に行くことは繰り返してますが、厳しくされることも少ないし、人間関係も薄弱になっているから、そんな記憶に残らないんでしょう。
それぞれの職の奥深さは是非読んで頂きたいですが、ここで触れておきたいのは、その年季奉公の意義で、僕が感じたのは、確かにその代わりに学校なんて行かずに学問がない、と言えばそうですが、年季奉公を果たしさえすれば、ほとんどの人間が、それなりに世間の中で地位を得るというかきちんと生きて行けたのではないかと思うし、厳しい人間関係の中で生きることで、人間として身につけないと行けないことも自然と身につけていったのではないか、と思います。まあでも、途中で逃げ出したら、それまでの食費を返せ、みたいな厳しい取り交わしもされた上だったようで、本当に辛いのに逃げ出すに逃げ出せなかった方達も多かったのかもしれないので、単純に美化はできなさそうですが、名人たちが「今のように労働基準法だの民主主義だの言ってたんじゃあ仕事が半チクになっちまわあ」と口を揃えて言っていたそうですから、必要なことだったのだと思います。
年季奉公を復活、なんてことはありえなくても、今の僕らが本当に自由でより良い世界を作れているのか?彼らに学ぶことはたくさんあるように思います。