罪を憎んで人を憎まず

  • 2022.07.11
  • BLOG

安倍元総理のこと〜参院選の結果。について思ったこと。
「犯人」「安倍さん」それぞれが行ったことについて、それぞれに注目し過ぎじゃいけないということ。
つまり両者に対して「感情的」になりすぎた事は、ことの本質をより見えなくして、より歪んだ選挙結果を導いてしまったのではないかということ。
そしてそれはもちろん「メディア」の姿勢がそうだったからであり、やっぱりメデイアはゴシップ週刊誌と本質は変わらないんだな〜ってこと。

「罪を憎んで人を憎まず」
僕は、罪って「吹き出物」のようなものだと思っていて、吹き出物を「憎し」と思って取り去っても体質が変わらない限りなくならないように、つまり体質を理解して治さなければ仕方ないのと同じで、今回の件も、大きな背景を理解し、社会にどんな問題があるのかを少しでも知る努力をするきっかけにしなければならないと思う。
それを、犯人や安倍さんがやってきたことや、それぞれへの憎しみや悲しみに偏った言説ばかりをクローズアップして、結局感情を煽って、理性を失わせている。でもそれがメディアの本性か。。。
僕は、仏教的なものに自分なりの興味で学んできた結果として、人間という、今では個性が重視されてしまっている生き物だからこそ、個人はイワシの群れの1匹に過ぎず、1匹が捕食されようが、群全体としてより良く生き延び、命を繋ぐことにしか意味はないし、生命体で言えば、筋肉の細胞もあれば脳細胞もあり、個々の役割は違えども、それぞれの一つの細胞はどんどん死んで生まれ変わり、でもそれ自身には意味はなくて、一つの生命体としての全体性をより良く保つことにしか意味はない、そして僕たち人間個々人も、大きくそれと変わらない、と思っている。
でも僕らは人間だし、一応「意志」というものを持っているし、イワシや細胞とは違うのは当然だけど、それぞれ「全体」を失っては「個」も失われる、という意味では人間だって同じだし、自分がとか、誰かが、ではなく、みんなで全体を良くするために、自分ができる最善を尽くせる世の中にしないと、どんどん全体としての社会は悪くなるし、今回の結果もそのようにしか感じられない。。。
そんな意味では今の世の中「罪」だらけ。それを(メデイアのように)誰か個人として責めるはもうやめて、全体の体質をどう変えればなくなるか、それをこそ考えてゆかなければ、と思う。