罪と罰とナポレオン
- 2020.01.11
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ドストエフスキーの中でも本書はそのタイトルのせいか手が伸びないままでしたが、正月に時間もありまして。。でもさすが名著でした。
で、いつものように僕のずいぶん偏った視点からの雑な感想ですが、主人公のラスコーリニコフ青年が金貸しの老女を殺害した理由と、結局彼が自首をした理由。その二つの理由が主題のように思われ、彼がそのしばらく前に書いたという論文に記された、ナポレオンのような存在は、彼が成し遂げるべきことのため数千の命を奪うことさえ正当である、というような事、それが僕には一番印象的でしたのでそのあたりを。。
と言いながら僕はナポレオンにあまり興味を持ったこともないのですが、朝の日課(暇つぶし)のギターで最近 Bob DylanのLike a rolling stoneをやって、なんだか気に入ってしまったのですが、こんな歌詞があります。
You used to be so amused at Napoleon in rags and the language that he used
Go to him now, he calls ya’, ya’ can’t refuse
When ya’ ain’t got nothin’, you got nothin’ to lose
You’re invisible now, ya’ got no secrets to conceal
この歌自体が、世間の波に乗って、調子に乗っていた奴が、最後は落ちぶれ無残に終わる、というテーマなのですが、ナポレオンもその文脈で語られているし、実際彼の偉業に印象は強いけれど、最後は無残といえば無残だったようです。でもラスコーリニコフはその偉業を成し遂げる際のことを考えただけでしょうけど。
でもこの話は罪と罰の内容からは全くの脱線で、ナポレオンつながりで、調子こいた奴は最後は無残だから気をつけろ、と言いたかっただけですw
話は戻りますが、僕はそういうある種の選民思想は実は肯定派でして、それはつまり、人々は皆平等で、自由だ、という近代の大原則に逆行するもので、でもその平等思想って、僕の浅い知識からいうと、キリスト様が人類に与えられたものが世界を席巻しただけのことではなかったでしょうか?女王蜂と働き蜂は役割が違いますし、昔はどの国にも身分制度的なものはあったと思いますし、でもそれによって構成員全体が守られるから続いてきたわけですよね。そして訳者の解説に、ドストエフスキー自身の中に「キリスト教」と「社会主義」、「意志」と「運命」の引き裂きがあり、それが本書のテーマを読み解く鍵ではないか、というようなことを書いてあって、なるほどなと思いました。つまり突出した「個」が全体の向上のために強い意志を行使することの是非が問われているように思いました。でも間違ってもトランプがいくら強い政治を行なっているようでもあくまで選挙の結果でしかないのに対して、習近平というか、中国はあくまで社会主義国家だと思いますし、表面だけ資本主義を装っているけど企業なども国が牛耳っているような状況でそれは不公平だから、トランプも喧嘩を売っているようですね。
なんだか前回と似たような話になってきたので、この辺にしまして、でも何しろその他の登場人物がそれぞれに面白いのが何ともいえませんが、彼は若い頃政治犯として5年ほど?シベリアで刑務所暮らしをしたそうで、その時の体験がその後の作家としての彼を形作っているのは確かだと思いますが、それは社会から隔離された生活であり、内省せざるを得ない時間であり、現代の我々はさらに速い流れの時代をネット社会によって流されるように経験しているので、それは間違いなく人格形成に影響を与えると思いますし、最近空想したのは、数十年服役して今の世の中から隔離されて出てきた人間は、もしかして僕らよりずっと強い何かを備えているのかもしれない。なんて。
でもドストエフスキーもボブディランも、なんか強いなあ〜と思うということは現代の私たちが弱くなっているということだし、僕はずっと思うのは人類は近代以降劣化しているということで、その原因は、上記の「平等」じゃないかと。つまり、強力な個は普通になれと言われ、弱い個は、頑張らなくても何とかしてあげると言われたら、全体として向上するはずはあるでしょうか?