絶望の林業
- 2019.10.22
- BLOG
そうだろうなあとは思っていたけど生々しい実情が理解できましたが、帯にあるように「不都合な真実」だという事実こそが「絶望」の正体とも言えそうです。
仕事で結構な量の杉材を使う僕でも、林業や森の実情は良くわからないというか、そこは製材業者などに任せておく範疇だという意識があって、それは寿司職人がマグロ漁船に乗り込むようなものだからそこまでせずに製材などの中間で木材に関わる方から情報を得たり注文をつければ良いと思っていたけど、それでは限界がある、ということも改めて良くわかりました。
本当に大切なことを、「日本の木材産業と日本の森林を未来を見据えて健全に守り育ててゆくこと」と言って「それは違うだろ」と言える人はいないのではと思うけど、本書を読めば、官僚が、国の補助金が、それをできない構造を強めていることが分かります。具体的には林業を「成長産業」だと言いたいがためにとにかく木材の生産「量」という数値を高めることだけに重きを置き、量を出せば補助金を出すので、結果、杉の森を乱暴に伐採してハゲ山にしたり、人の山の木を大胆にごっそり盗んだり、良い木材が取れる丸太も含めてチップにするような値段で売って目先の小さな利益と補助金を得るような業者が増えてしまい、森の所有者にはわずかなお金しか行かない、という現状を生んでしまっているようです。
ああそうか、と思いましたが、杉檜はほとんどが戦後植林されていて今やっと使えるようになってきているのですが、農作物で言えば毎年植えて、毎年収穫するという短いスパンの中で農家は生活して行かなければなりませんが、その山の所有者はほぼ間違いなく自分で植えた訳でもなく、親からとかどこかからなんとなく自分の所有になっているという方がほとんどなので、どうして良いかわからないし、そんな利益を上げなくても良いと思っているだろうし、問題になっていますが、所有者が分からない民有林はかなり多くあるようで、その辺りの事情(農地ではそんなことはない)がさらに問題を複雑にしてしまっているようです。
たまに書いたり言ったりしてますが、僕の思うことは、杉もかなり太く育ってきていて、赤身や柾目という良材が取りやすくなってきていて、それは美しいし耐久性も価値も高いのだからその良さを消費者にもう少しだけでもPRして少し高くて買ってくれるようになれば林業も森林も少しでも潤うしやる気も出るのではと思って、とあるものに応募した資料ですが↓のようなものを作りました。(本書には柾目や赤身という言葉は登場せず大変残念でしたので訴えにお会いに行きたいくらいでした)
でも本書で、国の愚かな政策やそれに頼らないと生きてゆけない産業の構造を良く知った今は、こんなことやってる余裕なんてないって言われるのがオチだとも思いました。(けど僕なりの取り組みは細々と続け、そのうちお金に余裕でもできたら良い杉が沢山ある山を買ってしまって自分の設計したものに使うくらいのことをしてみたいくらいに思っています(その前に頑張るべき方がいるはずだけど))
でもでも、外材のチークやウォルナットはもっと全然高いし、硬いのが良いと思ってるかもしれませんが柔らかい杉の方が健康にも良いし、このままそんな乱暴な伐採が続くと治水能力も間違いなく落ちて今回のように川が氾濫することもさらに増えますし、数十年後にはクズ山だらけになってしまうかもしれないですし、先人が一生懸命植林したことが本当に無駄になってしまって良いのか??
最後に、もっと広く見渡して、日本を良くない方向に進めている共通の問題があると思っています。それは、私たちが何かを「買う」お金のうちどれだけが実際そのものを「提供」している方に届いているのか?100円で買った野菜のいくらが農家に届いているのか?今じゃ10円とか??でも本来直接払えば100円全てが届く訳ですよね。そんな単純な話じゃないけど、GAFAは何も作っていないけどとんでもなく儲けていて、それは結局末端でものを作っている人が何かを売るときに手元に届くお金から差っ引かれているわけですが、その構造が、「本当に良いもの」を根絶させ「今売れるもの」を助長しているのは確かだと思いますし、ハウスメーカーの家だって末端の大工や職人や建材屋さんは「生かさず殺さず」の金額でやるしかないけど、そんな世の中だからデフレが続くのが当然のような気がします。人材派遣会社なんて奴隷売買と本質変わらんと思っているし(笑)つまり右から左に動かして儲けている人が増え続けたら「モノ」としての環境はチープにならざるを得ないのは必然だと思うし、同じ構造がこの林業にもあるなあ〜。といことでした。