私の履歴書 谷口吉生
- 2022.04.25
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楽しく読みましたが字が大きくあっという間なのと、もう定価では買えずちょい高かったですw
「私は建築職人を標榜し、実現した建築を通してのみ自分を表現することを心がけ、自分自身や建築について語ることを極力避けてきた」ような方が、80歳になり、父吉郎からとの「親子2代にわたる建築家が歩んだ軌跡を一対の本として残すことは意義があることかもしれない」と思い書いたそう。
ご本人は偉大な建築家の父の存在がなかった方が自由に建築がやれたかも?という言い方もされているけど、読めばわかるように育ちやそこから派生した人間関係も含め、僕ら雑草育ちから言わせれば、サラブレッドが悠々と育ったようにしか見えないw。だから最初は建築家を目指さず機械設計で大学を出たけど清家清がアメリカで建築を学ぶことを勧めたからそうしたそうで、後年お礼を言ったところ当時助教授の清家清の上司の教授が吉郎で、言わされたようなものだ、みたいな会話があったらしい。そのエピソード一つ取ってもやっぱり雲の上だなあ〜〜と。
そして満足のいく仕事をづけるため信頼を置く5、6人の所員を上限に事務所を大きくせず、「建築が出来上がる全てのプロセスに自分自身が直接参加するため、多くても2つ以上の設計を同時に引き受けないように心がけている」そうで、前者は妥当な話だけど、後者ができるのは、仕事が大きいのもあるけど、やっぱり父吉郎のおかげで常に質の高い、質を思い切り高められるような仕事に恵まれてきた(もちろんご本人もとても努力されたとしても)ということだと思う。でもでも本来のアーキテクト、というのはそういう姿であるべきで、今の日本のように、設計をやってちょっと変わったデザインをしていたら「建築家」と名乗るような低レベルの世界は否定されるべきなのだ!
ずっと前に、谷口事務所を最初から支えてきた高宮真介さんの話をずっと前に聞いた時に、確か、谷口さんのプランの作り方はとても単純でワンパターン、的な事を笑いながら言われてたように記憶してますが、逆にいうと、こねくり回さないということ。でも建築家というのは、こねくり回す、のが好きな生き物というか、自分のデザインの「差異」を作れないことが怖い、と言った方が良いのかもしれない。そういう意味で、現代の建築家たちは、以前のように「言葉」でこねくり回すことはしなくなったという意味で、プランは谷口さん的になってきたのかもしれないけど、構造や表層、そっちでいかに差異を作るかを競っているように見える。谷口さんは差異を求めるんじゃなくて、やっぱりその環境に素直に耳を澄ませ、そこにあるべき建築という形を洗練させ、だからできたものがとても素直に感じられるけど、でもその洗練の極地が結果として差異を生んでいる、ということなのかなと。
今時の建築雑誌を見ているとなんか目が疲れるけど、谷口さんのは癒される??し、もっと頑張って設計をしたいな、って思わせてもらえます。