磯崎新さん
- 2023.01.12
- BLOG
以前磯崎さんの本へのブログで、亡くなられたら大きな再評価をされる方だろうと書いたと思うし、これからいろんな方が色々に表現されるだろうけど、この青木さんの文中の「まるで小動物の世界を愛でるようでもあった」に大きく合点するところがあった。
ホリエモンさんが似たようなことを言っていたり、人気の?成田悠輔さんが「高齢者は老害化する前に集団自決すべし」のようなことを言ったようで、お三方、同じような天才?なのかなと思った。
他方の僕ら「凡人」はそんなふうに鳥瞰的にものを見られず、自分が転ばないように足元を常に気にしてしまい、だから僕ら全員が向かうべき「未来」なんてものは描いてもすぐ身を守る方に走ってしまう。
磯崎さんがいなければ今こんなに活躍できていない有名建築家は沢山いるし、磯崎さんは自分の足元なんかどうでも良く、「建築のあるべき未来」というものしか見えていなかったからこそ、ある種無私の、悟りの状況で、あれだけの高みに登られたのだろう。本当に稀有な方だったと思う。
成田さんの発言は表でするべきではなくとも、「全員が向かうべき未来」という視点では単純に否定されるべきではないと思うが、あくまで全員がそういう気持ちで生きるべきだよね、という目標であり、どうしようもない状況の方までに強制されるべきものではないのは当然かとも思う。
大きい話は置いておいても、建築の世界において、「あるべき未来」という発想はすでに失われているように見える。つまり、受注できなければ建築は実現できない中で、「受注する」と言う自分の足元を見なければどうしようもなく、どうすれば「目立って」仕事にありつけるか?という状況で、未来のための理想を無私に語ろうが、仕事が取れないだけになってしまう。から、もう建築には未来はないのかもしれない。それは単なる「建設」であり磯崎さんが追い求めた「建築」ではない。
でも僕は僕なりに小さな「建築」を追い求めたいとは思っている。