磯崎新 挽歌集
- 2022.04.01
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「建築があった時代へ」と言うサブタイトルが示すように確かに僕らもう若くない世代にもその実感は少し分かりますが、その建築とは何なのか?
1931年生まれ。若い頃同じ時代を駆け抜けた同志?たちへの挽歌。こんな人と同世代?でももう90過ぎていらっしゃるし。今の世代には知らない名前だらけかもだけど、すごい濃い歴史が詰まってます。
半分は建築家だけど半分は芸術家(音楽文芸も含む意味で)というのが磯崎さんのすごいところで、以前原広司さんも建築家になりたければ建築雑誌なんて読むな、的な言い方、つまり建築という閉じた世界で生きてそこに評価を求めるような事ではまともな建築などできない、というような意味で、磯崎さんもアーティストと自称し、設計事務所も「アトリエ」(磯崎さんが初めて使い始めて伝播したとか?)としたそうです。
どの方への「挽歌」も濃すぎて特にどれか引用、というよりご興味あれば読んでいただければとは思うけど、磯崎さんのもっともっと広い人脈の中でこの選ばれた?50人ほどの名前のリストを見るだけでもメッセージが聞こえるかと思います。つまり、彼が何を大切にし、自らをそこに近づけようとしたのかということ。
「私は設計業務を、商品/コモディティを生産/消費の関係に置く資本主義の原理ではなく、自然が産出する物体/オブジェクトを消尽する<生>の経済原理に基づきたいと思った」からや設計事務所などという社会的に一定の位置付けのある立場に収まるのではなく「社会から見れば潜在的失業者、余計者とみなされるアーティストを騙ることにした」というのが一つの原点であったと頭に置きながら本書なり磯崎の書いたものを読めば、なんとなく言いたいことは分かる。
「近代社会においては、、建築が国家に収奪されるのは当然のこと、、建築は国家に所属している。この関係に亀裂を入れる。それが批評することだと考えた。そこで、都市を批評する都市デザイン、建築を批評する建築デザインをやろうと思った。つまりメタ都市。メタ建築である」そしてそのメタを考えるには「思想」が必要なので、まあ磯崎の文章は難しいというわけだけど、今はそれらはもう無効なのだろうか??
国家も建築も、もう溶けてしまい、亀裂を入れることもできないと言えるのだろうけど、今の状況しか見ていなければ、国家も建築もあるし、何いってんの?となるだろうし、その立場から言えば、磯崎のやってきたことは「空論」でしかないのかもしれないけれど、僕らは人間という、唯一自省のできる存在に生まれたのだから、「どこから来たか」を知ろうともせず「どこへ向かうのか」について少しでも意志を働かせようとしないで良いのだろうか?
確かに当時より世の中は複雑に流動的に、どんな天才でも把握しきれず、一部の世界で生きるしかできない時代になってしまったとは思う。でもだからこそ、自分が把握できると思える範囲まで、世界を小さくした上で「批評的」に向き合い、ものを考え、作ってゆく姿勢が必要なんじゃないかと思うから、巨大化してゆくビルの設計には全く興味が持てないし、住宅などの、素材や使う方の気持ちや、その後の使われ方や、設計者としての自分が目の届く範囲に留めて、仕事に向かい合える現状に、ある満足を感じていたりしますし、その範囲では、磯崎さんが向かい合って来られた事が、もちろんしっかり分かり切らないにせよ、道標として大きな力になると思ってます。
他方、僕が建築を学び始めて30年とかになりますが、徐々に「建築」やそれを作る自らの「建築家」という存在に対しての内省的な思考が世の中から薄れ、「売れる」ものが評価され、それに誰も異議を唱えないような現状になってしまっているのはとても残念に思います。
そして本書で思い出しましたが1974年に書かれ論争の火種になったという神代雄一郎の「巨大建築に抗議する」のような投げかけが、現代社会の中で新たになされても良いと思うし「映え建築に抗議する」とかでどなたかに書いて頂きたいwものです。そこでも神代さんが書かれていましたが、コミュニティというのは200戸1000人くらいが健全な共同体意識を育むので、それを大幅に超えるような巨大建築は、人々のための建築になり得ない、というのはその通りだと思います。神代さんはそんなこともあってか「隠者」のようになってしまわれてしまったからなのかあまり僕の認識も大きくなかったのですが、改めて何冊か読んでみようと思います。