知覚は幻

  • 2010.11.25
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人間の内面を覗く事は人間をよりよく知ることになるので、知覚関係の事には哲学同様興味が深かったのですが、まだまだ知らなかった事など沢山あり、楽しく読めました。薄い雑誌のくせに2000円もします(良かったらお貸しします)。
人間の様々な錯覚と言われるものは、何も間違って見える、という本質ではない。人間が動物として外敵など様々な外部環境を瞬時に読み取り反応するためには、実はとても膨大な情報量である外部環境のある種の単純化が必要で、それが生死や、子孫を残す事などにも必要なのですが、一方でその単純化によって、「錯覚」と呼ぶような、少し変わった見え方をせざるを得ない(それから逃れられない)。
例えば人間は重力のある地球では「上下」というのが前提であり、太陽光は上方から当たる、のですが、それはもし無重力で地面に直立するような生き方でない生物には前提ではないわけで、でも人間はその前提をもつから、上記のようなある種の情報への単純化を行うことで、敵や食料をより瞬時に見分けられるのだそうです。
そして、同種の生殖のために、他の動物と見分けやすいように、例えばキリンの首が長いのも食料を得やすいからだけではなくって、同種を特定して生殖に至りやすいように、という理由で動物は有る特徴を強めている、というのは確かに腑に落ちました。
私たちは、ついつい、カメラのように、外部環境を客観的に正確に知覚していると感じがちですが、実は全然そんな事は無くって、ある種のフィルターと通して、それもそのフィルターがどんな歪んだものかも知らずに生きているのですが、それってちょいとつまらないですよね。
僕は宇宙科学なんていくら突き詰めても人間の深みには至れないと思っているので余り興味はないのですが、このての話はとても好きです。
さあ読書しましょう。