生物と無生物のあいだ
- 2008.03.02
- BLOG
著者の福岡伸一さんは分子生物学者だそうです。
やはりかなり専門的な話もあり読みやすい、とまではいきませんが、やはりどんな学問も行き着く先は人間存在に関わりますから、とても興味深く読めました。
僕もというか人類誰しもですが、人間とか、生物という存在の奥深くにあるもの、神が造ったのでないとしたら、いかに生まれて来たのかということは知りたい訳で、また、様々な病気などを克服するためにも人間の体がどのような仕組みで出来ているかを、分子レベルから追求することが求められて来た訳です。
本書にもあるDNAがいかに解明されたかにも、本当に多くの学者の努力や光と陰の世界があったようですが、そのDNAが解明された事で、随分と多くの研究が進み、でもまだまだ分からない事だらけで、次の事が解明され、、、とこれからも永遠に全てが解明されないにせよ、人間や生物の存在に肉薄してゆくのでしょう。
例えば、このDNAが「二重らせん」構造をしていて、片方のらせんが、もう片方と「オスとメス」の関係になっている事で、どちらかが何かの拍子で欠けてしまってもバックアップできたり、複製がしやすかったりすることが、生命が「自己複製」するシステムであることの本質を担っている、ということのようです。確かに生命というのは子孫を残すにしても、新陳代謝にしても、自己複製をしている訳で、DNAがそれに最適な形をしているというのは当たり前のようですが、でも自然の中に神がいる、とでも言いたくなるような奇跡でもあるとも言えます。
例え話として出ている「砂浜の城壁」(砂漠に蛇のようにうねる凹凸のようなものというか)は、常に同じ形をしているようで、常にそれを構成する砂は入れ替わっているにも関わらず、その城壁の形はずっと変わらないように見える。それが生物も同じで、「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」。
そして、絶え間なく変化する、つまり秩序が絶え間なく壊されながらもバランスをもった平衡状態を保つ事ができるという「動的平衡の流れ」が生命だ、というのです。
もちろんそれを可能にしているのは、上記のDNAのなせる業なのでしょうね。
また、本書で、この手の研究者たちは、若いうちは奴隷のように働かされ、新しい論文が認められ発表することで少しずつ階段を登り、また大発見をする事でノーベル賞をもらったりする陰では実らない研究がとても沢山あることが伺えました。
若いうちは奴隷のようなのは、建築設計の世界も似ていますが、物理とかの世界の研究は、成果がずっと積み重なる事で、「真理」に少しずつ近づいてゆけるのに対し、我々の建築の世界は、ある種ファッション的に、時代が変わればそれまでの成果も理論も顧みられない面があり、それでいいのだろうかと思います(堀部さんがそんなことを言われていますが)
生命体が、それぞれに本当に多様でありながらも、実はそれはそれぞれの環境の中でとても機能的であり、またそれぞれに美しくある、という事が建築でも実現できないものかと考えていました。
でも、日本の集落も、外国の集落的に、昔からある建物群は本来どこも生物的な美しさを持っていました。でも今はそうではないですよね。
やっぱりそれは、神から与えられたがごときルール(生命でいえばDNAのような)が前提としてあるかどうかなんだと思いますし、日本のまちなみが美しくないのは、表面上のルールはあっても、本質的には好き放題やっているからだと思います。
だから、昔の集落に戻れなんて思っている訳ではなく、せめて50年、100年揺らがないと思われるような本質的なルールを見つけ、できれば我々の建築の世界がもっとそれらを議論し、積み上げて残していかなければいけないと思いますし、そのためにはメディアや、もちろん「売る」なんて発想から距離を取っていなければいけないと思います。
何故医者はCMをしてはいけないのに、建築とか住宅はしていいんだろう??