父が娘に語る経済の話。とポストコロナ
- 2020.05.05
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これは本当に良い本です。本当に大切なことを本当に分かりやすく書く、なんて素晴らしい。ポストコロナを迎える今、尚更価値があるかと。
今は空気のように当たり前の自由経済だけど、もちろん元々あったわけじゃないし、西欧が世界に押し付けたものですよね。ところでなぜそれがオーストラリアのアボリジニや、アフリカの民族が始めなかったのか?
狩猟採集で十分な食料が取れたことで「農耕」を発明する必要がなかったのと、砂漠や熱帯や様々な気候が入り混じっていたのに対し、西欧のあたりは気候が穏やかで、食料がそれほどなく、農耕に適した地域が面として広がっていたために、発明された農耕が広く広がってゆき、また穀物は(狩猟採集の魚や果実と違い)備蓄ができるために、それを集めて管理する必要が生まれ、それを記載するために文字が生まれ、権力が生まれ、国家が生まれ、そして貨幣も生まれ、経済が育った。またその国家を格付けづるために宗教が生まれた。
つまり、農耕により「剰余」が生まれ、それを「交換」することができるということが「経済」であり、それを世界に押し売りに行ったのが「帝国主義」(このくだりは僕の勝手)
その後は先日のマルクスでも書きましたように、労働者は搾取されつつ経済は大きくなるしかなく、結果全てが「商品」と考えられる世の中に近づいてきます。だからお金を生まない家事育児、手間暇かけた料理、なんかは時間の無駄扱いですし、本来はもっと精神的な意義のある旅行だって、インバウンドだの結局消費活動というモノサシで計られてしまった結果、精神的な価値を失ってしまっていますよね?
だから私たちの「労働」も金銭換算できる商品のようでもあるのですが、実は果物や自動車などの商品と根本的に違うのは、トマトや車はそれを直接食べて使って価値を味わえますが、労働、というのは直接味わうものではない。だからトマトは車はどんな不況でも最低限必要とされ売れるのだけど、不況でみんなが明日を信じられなくなれば、最小限のものしか買わなくなり、企業も最小限しか雇わなくなり(解雇する)流通するお金が減るからもっと企業も個人も引き締めて、なんてやりだすと大不況になる(つまり労働とは無くても済ませられる部分が大きい)。というのはこのポストコロナの局面でどうすべきかを考えないと恐ろしいことになるということですよね。
また、経済を大きくするしかないためにお金をどんどん流通させなければいけない。だから国民に借金をさせ、国も借金をして、企業にどんどんお金を使ってもらう必要があり、それを実施するために「銀行」が国と一蓮托生で暗躍しなければならないし、だから国は銀行には甘い(大不況で潰れかかっても守られてきましたよね)し、裏で甘い汁を吸い続けている。そして「経済学者」は国のために都合の良い理屈で国が行う経済政策の後押しをするけど、実際はウソまみれだそう。それはまるで古代、王様が占い師に都合の良いことを言わせてやりたいことをやっていたことのようだ。みたいなw
まあ権力側ですから国民が文句を言わなければそうなるのが必然ですし、だから著者は、「民主主義」でそれをより良い方向に向かわせるしかない、と言っている。
本当に素晴らしい本なんだけど、僕が物足りないのは「民主主義」も「経済」と同じ土壌から生まれてきたもので、アジアなどの地域では取ってつけたようなものなので限界があると思っていまして、逆にだから中国は社会主義でありながら経済大国としてアメリカを抜かんとしていまし、それはそれで世界の脅威になってしまっている。だから日本という国は、そのどちらもバランス良く?併せ持つ、まあまあな大国であるからこそ果たせる役割があると思っています。
先日も書きましたが、日本において比較的格差が小さい(それでも十分大きく正すべきですが)こと、文化や民族のために、まだ一つの国としてまとまりやすいこと、(だからコロナが比較的まし)というのは、ポストコロナを乗り越えるためにも、そしてその先の新たな社会(放っておけば米中戦争?)の大きな力にならなければいけないと思いますし、そのためにも、「経済」とは何かをしっかり考えてみることが今のタイミングでとても大切だと思いました。