漂うモダニズム/槇文彦

  • 2024.07.20
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ずっと前に読んで書いたのですが、最近槇さんが亡くなられ、建築においてモダニズムを唱える方もいなくなってしまうのかな〜と思って再読。
「モダニズム」って簡単に説明できるような定義もなく、説明しろと言われても困るけど、自分なりには「地域性や歴史や因習、さらに重力など、それまで人間が囚われてきた物からの自由」だと思っていて、自分の建築もそうありたいと思って作ってきた。

本書ではメキシコの詩人の言葉「モダニズムとは一人一人の人間がいかに自分の<現在>を生きるかという立場のあり方の表明であり、従って千人には千人のモダニズムが存在する」を引いているが、他方では「普遍語」に喩え、ローカルな存在から、どこでも誰でも使えるような存在として、ラテン語や漢語のような洗練と成熟をする存在と捉えている。またコルビュジェが生きていた頃には「マニュフェスト」や「ムーブメント」があり、大きな船に乗っているような感じだったのが、今ではそんな船はなく、価値観や方向性もそれぞれバラバラになってしまっている、とも。
それは、時代の変化、つまり、移動するのも他人を知るのも不便だった時代から、資本や情報の力が大きくなった結果でもある。
そして普遍語であるモダニズムはEnglish が普遍語にはなったが決して洗練や成熟をせず、劣化してしまっていることとも対比されている通り、「洗練」を大切にする槇さんからは残念な状況に見えていたのだろう。

そんな中で他の建築家についても書かれている中で、谷口吉生さん、やマンジャロッティは最後のモダニストと表現して強く評価しているが、ポイントはやっぱり「洗練」なのだと思うし、それがなければ次の時代に生き残れず、普遍化を求めていようがいまいが、普遍化される価値のあるものをモダニストであれば作るべきなのだ、ということだと思う。

建築家って70、80、死ぬまで作品を出される方はそれなりにいても、最後まで質が下がらないでいられる方は多くない。でも槇さんは保ってられて、事務所やスタッフを上手に育てられたからもあるんだろうけど、やっぱりそんな洗練や成熟、を目指し続けられたから実現できたことなのだろう。槇さんこそが最後のモダニストじゃないかと思う。

言葉をもう少し変えると、「重たい」「くどい」「変わった」「軽薄な」ものを「思いつきで」決して作らない。自分なりにはそこは強く意識して木造住宅などに向き合って作っているつもりだけど、槇さんが嘆く?ように価値観も目指すべきところも共有が難しい時代になってしまっているので、流されないように強く意識してゆこう。
「自分の<現在>を生きる」というのは当たり前のような表現だけど全然違って、自分というものを強く持ち続け、現在という瞬間に自分の精一杯をぶつける、というとても大変な生き方なのだろう。