武士は食わねど高楊枝
- 2009.11.28
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余り現代の日常で聞かない言葉かと思いますが、我々の仕事の士業ではたまに聞く言葉です。
何故こんなことをいいだすか?と言うと、さっきまでTVで久利生公平(何のことかわからない?)を見ていて、これは士業ではないけど、弁護士ものとか、ついつい感情移入をして見てしまったりします。
基本的に、「天職」と思うから、私欲走らず「高楊枝」なのですが、天から与えられた役割だと思うから、その職が何故必要とされ、存在し、だから自分は何を為すべきかを常に思うのだと思います。
自分がそんなに清い状態だなんて決して思わないけれど、だからこそ、そんな清い部分を描いたものを見て、自分の心をたまには洗わなければ、という心境でしょうか。
まあでも、全ての職業も、主婦という存在も、そして人間として生まれて来たことも、全て、天から与えられた役割なんだと思いますし(僕は無宗教といえばそうなんですが)、そうでなければ人間はとてもつまらない存在なんだと思います。
でも一方で、この自由経済の社会というのは、そんな人間の大切な部分を見失わせ、目先の欲に走らせることで成り立っていますので、無闇に消費を煽動するようなCMを見るたびに苦い気持ちになります。特にエコエコ言っている最近の家電、自動車の動きなんてのは、どうなんだろう??
とても大きな産業だからこそ、天職だという認識の元に、長期的な視点を忘れずに持って欲しいものだと、そして、彼らの立派な創業者たちは、少なくともそんな視点を持っていたからこそ今があるということを、是非忘れずにいて欲しいな、と小さな存在の一人間として感じます。