楢山節考

  • 2007.12.16
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なぜかレンタルDVDで「楢山節考」を見ました。
先日のSm邸の1年検査でいろいろお話をしていて話題に出た事、あと監督の木下恵介さんが浜松出身だったこともあり、見てみたいとも思っていた折りの勢いで借りてみました。
1958年作で、信州のとある村で、時代背景は不明ですが、「姨捨山ーおばすてやま」というものがリアルに描かれています。
非人間的だと言ってしまえばそれまでですが、実際は、社会を維持して行くために、負荷となってしまわざるを得ない老人を、社会を維持するために「捨てる」というルールが必然的に生まれたというのはうなずけるところでもあります。
ただ、映画の中では、山に行くのは本人の自発性で描かれていて、隣家の「又やん」は恐れて自ら行こうともしないのに対して、主人公の「おりん」は自ら前向きに受け止め息子を説得してまでも山に向かいます。
その対比を描くことで、「死」にいかに向かい合うべきかを伝えたかったのかもしれません。
なんとなく「長寿」が喜ばしいように思われていますが、それより大切なことは、いかに自分の「死」に向き合うかによって、「生」と向き合える事ができるという事だと思います。
昔からのしきたりや慣習、そして言い伝えなどの文化の中には、無言のうちに、人類の生や死への向き合い方が込められているはずです。だから、現在の(とても軽薄なメディアたちに流された)状況から、たまには離れ、そんな昔からの深いメッセージに耳を傾けてみることが大切だと思います。
今の次回から言うと理不尽に思えるような慣習、でも、人間社会を維持して行くために必要であったものです。一方で現代社会は、このままでは人間社会というか、地球が破滅に向かっているにも拘らず、そんな慣習を持ちません。「自由」ばかりでなく「不自由」を暗黙の了解とできるのが「文化」だと思いますし、永続性のあるものになり得るのだと思います。
移動手段が発達し、様々な素材が開発され、生き方も自由になり、そして、地縁や血縁が壊れ、都市や集落の風景が壊れ、自由で楽しくはなりましたが文化と呼べるものはほとんど過去の遺産のようになってしまいました。
何も昔に戻れ!というつもりは全くありませんが、これから人間が永く生きてゆくのであれば、「変わらないー変えてはいけない」部分をきちんと残していかないといけないのだと思います。
と、真面目になりましたが、もう一本借りて来たのはコメディです(^o^)