森の思想が人類を救う/梅原猛

  • 2019.03.29
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大学時代に読んだらしい。先日梅原さんが亡くなり、あっと思い出して再読しましたが今の僕にとっては最高に肯ける本でしたし、是非お読みください。

世の中では狩猟採集の縄文時代より稲作をした弥生時代の方が進化して優れていて、という論調が固定化しかかっているからか、こういう梅原さんの思想は異端扱いされてしまっていたのかもしれませんが、私はこちらが正しい、と思います。つまり、縄文人は狩猟採集のために「森」を必要とし「森」から全てが生まれ、そして還ってゆく、と考えたけど、一方の弥生人は、稲作のために森を伐り払う必要があったので決してそのように考えなかったけれど、本当に日本人の心の深い部分を作り、今も流れ続けているのは縄文人のそれである、ということ。

昔は九州ではどんぐりが採れ、東北ではサケが採れたから縄文人が多く住み、でも関西あたりは何も採れないから人は少なく、中国の戦乱から逃げてきた?人たちが関西を中心に稲作を始め、徐々に力をつけて広がり、縄文人を追い払っていった結果、縄文人のルーツは北海道と沖縄に追いやられたが、実は北海道と沖縄人は、文化的にもDNA的にもかなり近い、そうだ。

そして縄文人は狩猟民族だから、森から頂く食料に大変感謝をするから、熊を大切に扱う神話などあったりするけど、食べた熊の魂を丁寧にお返しして、また食べられにやってきてください、と祈ったり、その熊が人間になったり人間も熊になったりと、全ては「循環」しているという思想を持ち、だから人間も大自然の一部でしかない、という思想になる。でも農耕民族は古来から大きな文明を作ってきたけど、結局森を切り拓き続けて、結局その文明があった地域は今は砂漠になってしまっていますね。そしてそれらの文明が生んだ、ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子、の思想はやはり人間が前面に出ていて、「人間の自然支配を是認する」思想であると。釈迦は何故?と思われると思うけど、仏教は日本に入って、森の思想、神道と出会ったから、とても平等な思想に変わったけど、仏教も本来は人間が前面に出ている、というのはそうなのだ。でもでもやっぱりキリスト教はそれに輪をかけて人間中心なので、程度の差はもちろんあるかとは思います。

そしてそんな日本だから生まれたのが、聖徳太子の「和」つまり平等思想ですし、それが日本人に大変受け入られ続けてきた、というのは冷静に見れば、世界的にはかなり特殊なことなのは間違いありません。

そして、仏教は元々は一部の特定の人だけが救われる、という思想でしたが、日本に入ってきて誰でも救われる、悪人でさえも救われる、となったのは、その平等思想が根ざしていたから、と。なるほどです。そしてこれは梅原さんも「今まであまり指摘されてことがなかった」と書いてますが「日本では仏像が全部木になる」。それは「日本では、木というものは昔から霊の宿るところで、木は神でもあった」だから、「仏師が仏を彫るのでなく木の中から自然に仏があらわれる」。 うーん。今の僕にはすごく大切なことを聞いた気持ちでした。

そしてまとめとして「生きとし生けるものは全て同じ生命である。特にその生命の信仰の中心は木である。そして生命は皆死んでまた蘇る。死んであの世へ行ってまた帰ってくる。そういう循環を繰り返している。それは自然の姿でもある」と。でもこういう考え方は、いわゆる原住民的な思想としてはあったとは思うけど、文明国として持ち続けているのは日本しかないから、「森の思想が人類を救う」のであり、日本人目を覚ませ、ということだと思います。(でも先日行ったスリランカは、詳しくないけど似たような思想が根っこにあるような気がしていました)

こういう系統の話はとても好きなので断片的に色々読んでたし本書も30年近く前に読んでたはずだけど、最近杉の椅子を作りながら森のことを考えたりもしていて、今になってやっといろんなことが頭の中でまとまる大きなきっかけとなるような、そんな本でした。

で、「呪の思想」これもおまけのようですが大変面白かった。象形文字としての漢字、というものの恐ろしく奥深い世界。漢字を使う日本人なら読む価値はあります。