核について
- 2011.06.11
- BLOG
もう震災から3ヶ月なんですね。
まだ8000名もの方が行方も知れずというのはとても心が痛い事です。
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文
読みまして、自分の中で悶々としていたものが少しすっきりしました。
大した長さでないし全文読まれると良いと思いますが、抜粋します。
「何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。」
「我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。」
「しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。」
「広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから』
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。」
「 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。」
「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。」
。。。。
他にも良い言葉は沢山でしたが、原発関連だけ拾いましたので。
この全ての言葉をセットにして、僕は全くその通りだと思っています。
「セットにして」と書いたのは、他の事をせずして、「核に対するノー」の声がやたら大きくなっているように感じていて、それにはどうも違和感があったからです。
その前にやる事があるだろうと。
国民も共犯であり、経緯を知る努力と反省をした上で、国に対して怒りを表明すべきだと。
そして、「効率」を捨てる覚悟があるなら、日本の国力なんて気にしないという覚悟が本当にあるのか?
でも、それをさておきも、核兵器は憲法にて否定されているけれど、そもそもその「核」だって、科学者たちは平和利用しか念頭になく考えたものだろうから、でも結果がこうなのですよね。
つまり、やっぱり安全だなんて言ったって、核は核。春樹さんの言うように徹頭徹尾、No!と言い続けるべきだったのでしょうね。
と言っても今更です。
今からでも、我々の「倫理」というものを考え直し、それに基づいて行動すべきであって、とりあえず行動してしまっている現状を憂慮したりもします。