新建築8月
- 2018.08.07
- BLOG
建築論壇「住居への退却、まちの再生」というのが一番興味深かったです。
スウェーデンは持ち家率が低く社会保障が充実しているという。つまり個人が資産を持たずとも目先の不足は補ってくれるという社会。それに対してオーストラリアは反対で、皆が広い土地に持ち家を持つことで老後などもなんとかなるので社会保障に対して重きを置かないそう。でも金融市場の自由化圧力?から世界的に持ち家率は上がっているそうだけど、イタリアではローンが厳しく貯蓄や家族からの貸し借りでできる範囲で増改築が行われていて多くの不動産は市場に出回らないそうで「商品化」されているとは言えない。またその一例として「自作」つまり自分や仲間たちて建物に手を入れるに止まらず、地域の「互助」を再構築して「雇用労働」に依存しないことで「人々が能力を回復」する、というような事例も紹介されている。
世界はますます複雑化して、政治もよく分からないから無関心にならざるを得ないけれど、「住居はアイデンティティの感覚と密接に結びついている」し、持ち家が、そんな不安定な社会から守ってくれる「バッファー」となるからだけれど、つまり自ら住居という資産を「生産」するという意識を持つことで、困ったら所得保障をしてくれるんだから頑張らなくても良い、と思うような人間が増えない、という意味で価値があるし、「今の日本社会が直面する課題と響きあう」という。だがもちろん価値は多元であり、市場は一つでなはいからこそ「寛容な社会」が必要であり「いかに混在をアレンジするか」が大切だ、と。
裏返しにすると、巨額なローンを抱えてしまうけれど、すぐに資産価値も下がってしまうようなもので、自ら手を入れようとかも思えないし、お互い地域に開いて関わって面的に育ててゆこうなんて発想もない、というような新築はその個人にとっては愚の骨頂でしかない、と言えるとも思う。という意味では、右下のは西沢立衛さんが古い町屋を改修された例は望ましいあり方だな、と思いました。
本号は「集合住宅特集」でしたがほとんどが東京のもの。ますます一局集中が進む中、建てれば元は取れるんでしょうけれど、地方の私たちから見れば異次元世界ですから、醒めた目で見なければ行けないなあ〜と(いつもながらに)思うわけでした。