新建築3月

  • 2017.03.13
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伊東豊雄さんの台中国家歌劇院。色々あって11年もかかっての完成とのこと。これだけ実験的な設計を、台湾で、というのだからよくやられましたよね。

写真で見る限り、僕にはどうもこの形の必然性が感じられないのですが、「自身の身体性への探求が行き着くところまでたどり着いてしまったという終息感」を感じ、同じく強い内向性を持っていた、初期の作品、中野本町の家、の後の40年で、「内部への沈潜しようとする身体感覚から脱して、理性に頼りたいと欲する作品と、理性的に考えようとしても無意識のうちに身体内部から滲み出してくる感情に支配されている作品とが相互に繰り返され」この台中によって行き着いてしまった、と。ご年齢やこのプロジェクトの規模もそう思わせた理由のようだけど、お気持ちは分かるように思う。

コルビュジェも村野さんも、晩年は似たように、理性から離れて建築を作っていたように思いますし、より素晴らしい建築だったように思いますが、理性的な部分はもちろん必要としても、無意識が欲する何かをもっと建築として形にして行かないと、つまり心の無いものしかできないんじゃないかとも思うし、この建築をみて感じる違和感は、もしかして僕もそんな理性的な思考に毒されすぎているからなのかもしれない。でも村野作品は素直に好きだから、この台中は規模が余りにも大きいし、台湾で実現した、という中で、「身体性」と言うにはちょっとしんどかったのでは?とも思う。でも内部の写真はなかなか良いなと思えてきた。この手の特殊な構造の建築は、構造形式が勝って、でしゃばって見えてしまう、つまりある種の理性を感じさせることが多いけど、これはそうでないから、ある種の野暮ったさを持ってしまい、でもそれが胎内のような空間を生み出しているのかもしれない。手で作った雪の「かまくら」みたいに。

右下の、丹下さんの山梨文化会館の耐震改修。築50年。コア柱の下を切断して、ジャッキアップして免震層を入れた、と、まあすごい工事をして残される丹下建築はやっぱりすごいなあと思う一方、耐震基準が大地震のたびに変わり、こんなことまでしないと大切な建築が残せない、と言う日本の状況もどんなものかとも思う。そういえば、中田島砂丘のあたりも松がバッサリ伐られ、防波堤が作られんとしていますが、この地に本当にそんな大きな津波が来たことがあるのか?そこがはっきりしていないなら、もしかしてとんでもない無駄で、醜いものを作っているのでは無いか?海にゆくたびに思います。