新建築12月

  • 2016.12.08
  • BLOG

sk1612_web画像

表紙はエストニア国立博物館。雪に埋もれて見えますが全長355mとかなり大きい。またこの建築の成り立ちはいろんな事を考えさせられます。

人口140万程の小国で、ずっと近隣の大国の支配を受け続け、1991年のソ連の崩壊によってやっと独立を果たしたエストニアがこの「ナショナルミージアム」に託した想いは、館長が「これは私たちが100年待ち続けたエストニアのためのプロジェクトなのです」と言ったらしいように、国や国民のアイデンティティを強く求めている、という事ではないかと思いますが、ここまでの強い想いで構想された建築は、昔の聖堂などはそうであるかもしれないけれど、近代以降はそうなかったのでは?と思わせられます。

そしてコンペで勝ったのは、この敷地にあった、占領時のソ連軍の滑走路をそのまま延長したような建築。審査評が「この予期せぬ提案に審査委員はいささか驚いた。。。特筆すべきは滑走路である。しかしながらそれはもはや滑走路ではない。引き延ばされた廃墟であり、軍用跡地から空間が開放され、歴史が開かれ、そこに未来が与えられている。。」だったそうだが、そこにこの建築の重要なところがほぼ言い表されていると言ってよいだろう。でも当然、占領時の記憶を強く留めるわけだから、強い反対や色んな事があり、財政難で止まったり、でもこの国の強い意志として最後にはこうやって実現された。建築って重いものだと改めて思います。

実現させた建築家チームのひとり、日本人の田根さんが、「建築は記憶」として書いている事は僕の考え方ととても近い。建築とはそもそも実用的なんてレベルでないレベルで、人間が生まれて死んでゆくまでの不安定な精神を安定させるためにつくられ始めたものだったはずだし、それが本当に切実に必要だったからこそ、巨大なピラミッドや宗教建築が、それも千年単位で残るような在り方で作られたんだと思うし、必然的に未来へのメッセージになってきたと思うし、だからこの建築は嫌な歴史であれそれを真っ正面から受け止めつつ、でもモダンな表現で実現したんだと思う。

一方で、歴史を直視できず、押し付けられた歴史を受入れて頭を下げ続けている日本という国は、きっと「未来を与えられ」ないのだろう。