新建築8月号
- 2009.08.12
- BLOG
集合住宅特集でして、正直あまり楽しく読めませんでした。。
何故だろう、なんでだろう。。
多分、僕は「住む」という事に対してもっと良いイメージを抱いてしまっていて、本誌に載るような都市圏の少し制約が厳しい中での集合住宅というものにどうも良い印象を持てないからというのと、賃貸住宅は特に、「デザイナーズ」と言われるような、何らかの「個性」を設計者も求められる建築とならざるを得ない所で、どうも無理に個性的であろうとした結果と感じてしまうからだと思いました。
これだけ経済的にゆとりが出来ても、住宅というものの豊かさというのが何故向上しないんでしょうね??もちろん戦後から比べればよほど良いなんて、そんな比較をしたい訳ではないですが。
でも、「食」の世界なんかも、確かに便利にコンビニ弁当など、様々な魅力的(に見える)な食が手に入る一方で、食文化としては、一昔前の、家庭の料理なんかの方がよっぽど豊かだったなあと思ったりもするので、「便利さ」というのは「豊かさ」を滅ぼしてしまうのかもしれません。
話は戻って、表紙は長谷川逸子さんの賃貸住宅だったのですが、確かに楽しげで、借りられそうな集合住宅ではありますが、見も知らない住人たちと、こんな距離で向き合わされたプランになっているにも関わらず、開口の取り方なんかが余り検討されていないように感じました。
大きな考え方が悪いとかじゃなくて、細部が優しくないというか、でもその細部にこそ、大切で豊な部分が込められるはずですし、それがあればこそ、住人に愛され、永い年月にも耐える良い建築になることができるんだと思います。
なんか、便利さの裏で、そんな小さな優しさが消えてゆく時代だなあと。。
でも、そんな小さな優しさは人間には不可欠なので、滅びやしないと信じて、自らも小さな優しさを積み重ねてゆかねばと。。
政治には小さな優しさは不要なんでしょうか??
そうではないと思いますが、政治家たちはそんなもの不要だと開き直っているように見えます。
ですから、一度やり直した方がまだ可能性があるんでしょうね。と脱線でした。