新建築5月号
- 2009.04.30
- BLOG
伊東豊雄さんの「座・高円寺」が表紙だったのですが、どうもしっくり来ません。
インタビューの中で「特に芝居とか演劇は、劇場ではなくて屋外でやるのが理想かもしれない。。不自由さから可能な限り人びとを解放したいと思っているのです」と語りつつ、でもこの建築は逆の事を強いられたようで、伊東さんが何をやりたかったのか見えてこない。
もうひとつ伊東さんの台湾高雄市のスタジアムも載ってますが、高雄市からの要請でとても大量のソーラーパネルを使い、それを客席に対するスダレのような効果を狙って設置していますが、これはさらに何がやりたかったのか見えません。
すばらしい建築を沢山つくって来た伊東さんでも、やっぱり愚作も作らざるを得ないのかあ。。と。
僕は、建築って基本的には「共感」だと思っているのですが、まずは設計者自身がその建築に共感していなければ、言い換えれば、自分はそこにずっと居たいと思えるような建築でなければいけないと思います。
そして、伊東さんや安藤さんも、そして丹下さんなどの巨匠たちも、つくるものが大きくなって行く先には、やはりすべての作品に自分の共感を込める事はできなくなるのは不可避な事だと思います。
だから、住宅という規模の建築は、ほとんど全てを自分で把握でき、思いを込められるという意味で、自分の共感をひとつひとつ込められるものだと思います(住宅には限りませんが)
本当は僕は、独立した時から、もっと大きな建築を志していた面がありましたが、でも上記のような意味で、今は無闇に大きな建築に関わりたいとは思いません。
自分のエネルギーが及ぶ範囲で、少しづつ大きな建築もチャレンジできればなと思いますし、大きな建築でも隅々まで気持ちを注いだ村野藤吾さんのような例もありますので、諦めないつもりです。
ところで、ソーラーネタですが、日本はこれから太陽光発電に力を入れてゆくようで、僕も今設計しているものにパネルを設置していますが、税金で補助をしたり、売電価格を無理して高くさせるくらいなら、なんで国として大規模な発電装置を設置しようとしないのでしょうか?
住宅に細切れに載せてゆくよりはよっぽどスケールメリットもあって効率的だと思うのですが。
まあいろんな裏があることくらい想像できますが、聞いてみたいものです。