新建築11月/西沢大良さん
- 2008.11.21
- BLOG
駿府教会ですが、静岡市にできたのは知ってましたがまだ見に行けていませんが近々行ければと。。
ご存知の通り、西沢立衛さんのお兄さんで兄弟でこれだけ活躍してるのもすごいですね。
ただ、どうも大良さんの作品は、生理的にどうも馴染めません。
この教会についても、実際に見て言うべきですが、精神性を内在すべき建築であるにも拘らず、それが感じられないように感じてしまいます。
何故そう感じるかちょっと考えてみると。。
西沢さんの言葉を引用しますが「確かに僕は、独立的なボリュームを一旦つくってから、回りと同じブロンズの住宅サッシュを使ったり、回りと同じ外壁材にしていました。ただしその納め方は、完全にオリジナルに考え直します。住宅サッシュでもなんでも、未知の物体のように扱います」
というスタンスが、どうも、現実にあるこの世界を全否定するところから初めているように感じてしまいます。僕なんかは、多少なりとも、自分の感性が許せるところが、現実世界の中にもあるはずで、それを拠り所に設計をしている部分がありますが、そんな感性なんていう不安定なものには頼らない、と言った感じを受けてしまいます。
だから同号の妹島さんとの対談の中でも「超越的」とか「神殿のよう」と言われているのかな〜。現実に根を下ろしては超越的な神殿にはなれないですよね。
ただもちろん、「感性」というのは結局今までの自分の経験などが無意識の中に眠っているところから生まれてくるわけですから、ある種後ろを向いていると言え、それを否定して「未知の物体のように」扱うというスタンスは未来を向いていると言え、だから、後者のスタンスが新しい自由を切り拓くとも思います。
実際ものを見て、感じてからもう一度考えてみよ〜〜っと。