新しいしごと
- 2009.07.03
- BLOG
若い夫妻とご両親のための二世帯住宅です。「若い」って言う必要が出て来たあたり、僕も歳とってきたものです(^_^;)
2つ目の案なのですが、今回は2つの世帯を二つの正方形として、接点に共有玄関を配置しています。
せっかくの広い敷地だし、2つの世帯に独立感を内外ともに持たせたいなというのと、やはりついつい正方形にこだわってしまう(はやり美しいのでという理由ですが)結果です。
今設計が大詰めの住宅は二つの正方形を組合わせているという意味では似てますが、2階建てだという事で、雰囲気は全く違うものになっています。
「形」をつくり、それが住む家族だけでなく、それを目にするだろう多くの人たちに対する心的な影響を真剣に考えるのなら、その「形」をつくるという事はすごく責任の重たい事なんだと感じています。だから究極的には何らかの整った形を目指してしまいます。
ただ、もし屋根をかけないデザインをするのであれば「立面」において構成を追求する事は後でもいくらでもできるのですが、屋根をかける前提においては、やはり平面が整っていないとなかなか難しいことになってしまいます。(大きな規模の建築だと話は別ですが)
そこで、何故屋根をかける事を前提とするの?と追求されそうですが、僕はコルビュジェの近代建築の5原則の中で、「屋上庭園」だけはどうしても受け入れたくなくて、他の4つ(ピロティ、自由な平面、自由な立面、水平連続窓)の価値は認めますし、それらが建築を自由に解き放って可能性を広げた事と思いますが、屋根だけは、いくら因習的で重たいと言われようが残すべきだと信じています。
人間、全て自由になってしまったら、それはかえって不自由な事だと思っていますし、何らかの制約やルールがあって初めて真の自由があるんだと思います。
例えば、音楽って本当に多様で豊かで自由だと思いますが、それらは音符というルールがあるからこそであり、また詩はもちろん、言葉、というルールの中で豊かに奏でられます。
相変わらずの脱線好きですが、「屋根」が建築の表現を不自由にしているから陸屋根にしてしまって、平らなんだから屋上庭園にしてしまおうなんていうのは僕は違うと思っていて、全ての建物が屋上庭園になってしまったとしてたら、陰影の無い、奥行きの無い、軽薄な環境になり、何十年かすると皆さんが雨漏りに悩まされ、建物の寿命はますます短命化する事でしょう。
今多くの古い木造住宅が、古くても生きながらえている理由はやはり勾配屋根だからじゃないのかなと思います。