招かれて(^o^)
- 2008.04.09
- BLOG
今夜、しばらく前に引渡をした住宅に、施工して頂いた皆さんたちと、一緒に担当したスタッフと共に招かれ、美味しい食事を頂きながら、楽しい時間を過ごしてきました。
今までこのような機会は何度かあり、とても設計をやっていて良かったと思える時ですが、今回は棟梁さん達とも一緒で、大変だった工事ですが、皆さん良い気持ちで終わる事ができた事がとても嬉しかったです。
棟梁にも、僕は設計者として、難しい設計でもそうしたい理由を言ってくれて、逆に話も聞いてくれた、と、当たり前の事に思える事を言って頂きましたが、でもそうでない設計者もいるようです。
確かに設計者は、様々な指示をする側ですので、偉そう出来てしまう立場です。
でも、だからこそ、逆に謙虚でいなければならない。
独立前に勉強させて頂いた徳岡事務所の先生も、歳はとっても偉くはない、というような事を良く言われてましたが、その気持ちがなくなったら人間はおしまいだと、設計者としては失格だと信じています。
謙虚な、思いやりの気持ちなくして、良い、品のある建築ができる訳がないです。
話を戻して、お話の中で、せっかく大きなテレビを買ったけど、ほとんど見ないと。ダイニングの照明だけをつけて、それだけで気持ちよく時間を過ごして頂いているようです。
最近空間の質、みたいな事を良く考えます。いくら機能的で合理的でも、その「質」みたいなものが欠けたままでは本当に良い空間にはならないと思います。
読んでいた本の中で、モダニズム(近代建築運動)の最初は「抽象」という概念が今と全く違うものとしてあって、表面的な装飾や様式を削り落とすことによって、主体としての人間の具体的な知覚能力を蘇らせる事が目的だったのに、機能的、合理的である事ばかりに焦点が当てられ、拡大解釈され、それが経済社会と合致して、結果として人間の知覚を無視したような都市ができてしまった、というような事が書いてありました。
そう。何より大切なのは、私たちの人間としての知覚や感覚から物事を考えること。
形式や概念といった、高いところから見下ろす視線ではなく、自分の身体で感じる事をもっともっと大切に考えてゆくこと。それによって、「空間の質」が生まれるんだと思います。
もちろん、その感じるべきことは、日々のちょっとしたことも大切ですが、もっと永い時間の中で空間がどうあってほしいかという、富士山を眺めるような感覚も大切ですね。
富士山って、なんであんなに私たちの心を捕えるんでしょうね??
そう言えば、この住宅から、富士山が見えるそうです。いいなあ〜〜。