影老日記/杉本博司自伝
- 2022.08.13
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まあなんと文化的密度の高い人生なのだろう。ご興味ある方には是非おすすめ。
多彩な顔を持ち、文章も素晴らしいのでいくつかそのまま引用を。
「私はこうして父親から受け継いだ落語のサゲを継承しつつも、そこに西行的虚無感と、一休的頓知を加味して、現代美術のコンセプチュアルアートへと展開していった、といった現在の自己分析としておこう。自伝などというものは全て後の祭りなのだ。これは評論家諸氏への私のリップサービスなのだ。」
「私は好奇心に燃える疲れを知らない若者だった。私はこの古美術商商という職を通して多くの顧客を得た。ノグチさんをはじめとする多くのアーティスト達がやってきた。」「私は正当な日本美術史を学んでいなかった。それがかえって良かったように思う。私の眼は美術史という色眼鏡をかけられる前に、処女の眼として、物そのものと対面することができたのだ。私は自分の眼に自信を持てるようになっていった。」
「私は自分の作品が私の集める古美術品に比較して『負けずとも劣らない』と思えるまで研鑽を重ねた。同時代の作家の作品には私は対抗軸を求めなかった。私が競う相手は同時代でなく歴史そのものなのだ。たまに売れる私の作品の売り上げは、間髪入れずに古美術品に入れ替わっていった。」
うーん。これ以上書き足さなくても僕としては杉本さんの大切な部分がまとめられてしまったように思う。
でも、本書は端から端まで密度が高く、様々な素晴らしい出会いが杉本さんを作り上げていった過程が描かれていて、その人脈にも驚かされるけれど、やはり生まれた環境の面白さ。父は落語家を目指したけど事業がうまくゆき、家にはいないけど落語やら連れ回されたり、家には多彩な人間が騒ぎに集まったり、母方もなかなかな家系だったり、と、谷口吉生さんの時にも書いたけど、スタートがズルいなあと羨んでも何も始まらない。。
でも思うのは、こういう一流の人が育つ過程での良い出会いの一部にでも自分がなれたら、というのは努力すればできそうだし、世の中がそういう環境(志高き人々がそれなりにいる)であってほしいと思うけれど、どうもその環境は劣化し続けていると言わざるを得ない。だからこれからの時代はさらに経済人が大きい顔をして中途半端な文化を語り、それで良し、となり続けるのだろう。。
あと上記の、古美術品に比較して負けずとも劣らない、という意識は、僕もずっと理想として思っていたことで、自分が作る建築に、国宝の大仏が置かれても負けないような建築、というのは以前も書いたと思うし、でもそれは実はなかなか容易ではないので、杉本さんのように永遠に向上心を忘れずに人生楽しんで歩まなければな、って、改めて強く思わせてもらいました。