建築への思索/益子義弘さん

  • 2008.01.16
  • BLOG


サブタイトルの「場所を紡ぐ」という言葉に中身が凝縮されています。
正直、読んだ後で、特に印象的に残らないような本でもありましたが、僕は大学の卒論で「場所論」とか「空間論」などというものについて勉強していたりして、なんとなく自分で分かったつもりだったりした面と、もう一つは、場所論みたいなものは、そもそもパッとしないものなんだとも思います。
様々な風景や集落(遠くイランの国などなどの)を訪ね、そこに、人が集う「場所」の本質を探っているわけですが、我々の現代的状況というのは、場所(土地)はお金を出して買う商品であり、その価格は不動産的なランク付けによって決まっていて、ドライな意味での環境の良さとか利便性で価値が決まっています。
一方で、集落的なものというのは、もともと人も住んでいなかった状態の広い土地が広がっている中で、人間の集団が、「ここ!」と思って集落をつくったわけですから、何かの思いがあってその場所を選び取り、またその場所の良さをより強めるように集落を形成したはずです。
ですからそんな集落たちに、強い「場所性」が出るのも必然だとは思いますし、その場所性によって、人々が心穏やかに暮らしてゆけるようになっているのだと思います。
本来住まうことには、その場所性を獲得し確保することは、最初になすべきもっとも重要な事だと思いますが、上記の不動産的な状況から、現在日本で住宅などをつくる場合にはそれはとても難しいことになってしまっており、従って、我々はそんな「場所性」などを考える必要もなく、そんな感性も失ってしまっているように思います。
そして、土地を売る側もそんな事は一切考えずに商品として土地を売っていますね。
しかし、そんな状況で取得された、なんてことのないような土地にでも、それぞれ、その土地の特徴があり、どの他の土地とも違う、建築の世界で言う「ゲニウスロキー地霊」というものがあり、それを最大限活かして、また建てることによってそれを顕然させることができるのだと思います。
でも、それは考えるものではなく、「感じる」ことによってのみ可能な事ですが、現代の我々はそれを感じる心をほとんど忘れてしまっています。
そんな事を考えさせ、そしてさらに場所を感じる感性を磨かなければ、と思わされました。