建築の七つの力
- 2014.03.09
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先日亡くなられた建築史家の鈴木博之さん。この機会にと大学の時読んで以来読んでみました。が、、学生にはやっぱり固い内容なんでしょう、、内容ほとんど覚えてませんでした。。
もちろん、ラスキンの建築の七燈にひっかけてあるのですが、基本的には日本においても、西洋建築史というのが主流なのであって、西洋の建築をいかに日本に取り込むか明治頃から躍起になってきた結果、日本にあった素晴らしい建築文化は傍流となってしまっていますので、どうも実感?体感?として日本人にはすーっと入って来にくい所もあるからか、学生時代の建築史の授業というのは退屈なものでしたが、自分でつくるようになって色々考え始めてから考えると結局日本の建築の状況をつくってきた背後の大きな力なのだから、まず知るだけは知らなければならないものだと思うから読んでいます。
ウィトルウィウスが、建築には「意味が与えられるもの」(製作)と「意味を与えるもの」(理論)があると書いたそうですが、また西洋建築の様式というのは、長い時間の中で人間が持つ「連想」の力が定着したものだというように書かれていて、それは「意味」の一部だとは思うのですが、日本の建築というか日本人において、果たして「意味」という概念で建築がつくられて来たかというと、なかったように思いますが(私見ですよ)、つまり西洋建築って根っこの所が日本人には馴染まない(なかった)んじゃないかと思います。
また「近代建築を成立させる精神は『自己の意識によって世界を把握し、そのようにして把握された世界に意味を認める』精神だと考える」とあり、やっぱりそれも日本人の精神構造とは根本的に違ったものだったと言えると思います。が、それを問わずに自分の一部としてしまうのが、良く言われる日本人の短所?長所?なんですよね。
それほど厚く無い本ですが、軽々しくまとめるような事は描けませんが、東京駅の保存にも中心的役割を果たされたりと、建築の保存に関して頑張って来られた事は本当に価値があると思いますが、本書の結びで
「建築のなかに過去を埋蔵せよといいたい。それは、建築のなかに時間的ユートピアを埋込むことなのだ。建築のなかに時間の扉を開く鍵を設けることなのだ。、、過去は記憶の問題だけではなく、想像力の問題になるのである。そのときに、過去の力は解き放たれる。」と、「決して単なる懐古趣味の領域にとどまるものではない」と書かれいる意味は、オプションとしてあればベターという代物ではなく、私たちに水が不可欠なように、過去の記憶は不可欠であり、建築はそれを大きく担っているという事なんだと思いますし、僕もそう信じます。
でも残念な事に日本では特に保存運動は盛り上がらないですよね。近代建築物の保存などを進めているDOCOMOMOという活動も、応援はしていますし多少保存が決まったりもしてますが概ね負けが多いのは、そもそも、近代建築というのは「刹那的」な発想でつくられてしまっていて、決して「過去を埋蔵」されていないから市民感覚からは遺す価値が感じられないんじゃないか?と思いますし、現代建築もその刹那的な傾向は変わらないので、50年、100年後に、現代建築が文化財になんてなりうるのだろうか??と真剣に思います。評価の高い(僕も好きですが)21世紀美術館がそうなるか?と言うと、メンテを頑張ってピカピカの状態を保つことはあり得ても、文化財?というと重みと過去の記憶というものに欠けてしまっていて、いや、そんな重みが感じられないからこそ刹那的には僕たちの眼には好ましく映ってしまっているんじゃないかなとも思います。
やっぱりたまにはこういう本を読まないといけないですね。