地獄の思想/梅原猛
- 2019.08.22
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お盆休み、台風で海が荒れてたので読書がはかどりました。しかし梅原さんの本は今の僕には染み込んできます。
梅原さん本を3冊読んだ中で特にこれについて書きますが、実はどれもというか梅原さんの書の根底には「仏教」があり、明治維新、大戦などを通して意識的に脱色されて、その後も思い出されようとすることもないままの、仏教が日本人の中に持っていた大きな位置付け、それが本当に重要であるということを訴えられたかったのだと思うし、「地獄」も、それを伝えるための一つの切り口だったのだと思います。
でも、地獄、ってそんなに耳にしないようにも思いますが、釈迦に始まる原始仏教は、人類を苦悩に満ちたものとして地獄が常にそばにあるような、ある種否定的な側面をもつ宗教だったようですが、それが日本に渡ると、人間だけではなく全ての動植物の生を肯定的に捉えるようになり、必然的に大乗仏教となり、「極楽」を思い描くようになったそうだけど、それは、自然のいたるところに神様がいると感じる多神教(神道)をベースに持っていた国だから、でもあります。
「草木国土悉皆成仏」つまり草木や山や川にさえも魂があり成仏するのだ、という考え方が日本の仏教の中心にあり、だから日本の「能」では、動植物までもが主人公のシテとなって語ったりするし、西洋ではそんなことはまずありえないと。例えばイソップ物語にも動物が出てくるけどあれは、人間の性格を動物に投影して(ずる賢い狐とか)いるだけで、つまりは「人間中心主義」なんだけど、日本の仏教も、お能も、それとは真逆なものであるし、それは宮沢賢治の童話を読めばよくわかるのだ、、と。
そして強く書かれていた部分として、源氏物語はそのような仏教思想が強い時代に描かれ、登場人物にもそれが秘められているからこそあのような名作が生まれたのだけど、源氏物語を強く評価した本居宣長は国学者であり、仏教には否定的であるから源氏物語の深いところは分かるわけがない、と、あの宣長にそんなことが言える学者は他にいないでしょうというところが梅原さんが素晴らしいところだし、読んでいてなるほどと思ったけれど、明治から戦争に向かう神道ー天皇を重視する立場からすれば仏教の本質から目をそらされるのは当然で、戦後になって天皇からも目をそらす時代になっても決して仏教へは目がゆかないまま、という状況だろうか。。
それにしても、世界的に評価もされているとても古い時代からの文化としての能や源氏物語の何が本質で何が良いのか?ということを(僕も含め)聞かれても答えられないというのはやはり日本人として恥ずかしいというよりも勿体無いようにも思いますし、今の世界が抱えている大きな問題(政治的な無駄な争いや環境問題など)は、間違いなく一神教的発想から生まれたものだから、その対極にある日本的な仏教的発想だけが、それに対して解決法を見出せるのじゃないかとも思ったりします。そして自分の仕事の建築をする上でも大切であろうと思うから続けて梅原さんを読み始めているのですが。。
毎度ですが自分の頭も整理できていないのに自分の頭の整理のために書いていますので分かりにくくてすみません。
最後に、能にご興味あれば、これ↓も分かりやすく、でも深く感じることができますのでよろしければ。